少年の名はジルベール

漫画家の竹宮惠子(=へぇ~、改名してたんだ。)が、上京後、「風と木の詩」を発表するまでの経緯を綴った自伝的作品。

著者は、いわゆる「花の24年組」の一人であるが、萩尾望都大島弓子山岸凉子といった天才たちに比べると個人的評価は相当低く、代表作と言われる「風と木の詩」も読んだことはない。たぶん「地球へ…」は手にしたことがあると思うが、正直、その内容は全く憶えておらず、雑誌に載っていた読み切り作品(=某有名SFのパロディというか、パクリみたいな内容)をたまたま目にして、“酷い作品だなあ”と思ったのが著者に対する一番の印象。

まあ、そんな訳で、本来なら一生読むはずのない作品なのだが、今話題になっている萩尾望都の「一度きりの大泉の話」を読むにはまずこの本を読んでおいたほうが良い、という情報を複数入手して、早速、図書館にリクエスト。う~ん、デヴィッド・グレーバーの著作は2冊しか置いていないのに、こういう本はしっかり揃えているんだなあ。

内容は、上京した著者がスランプを脱して「風と木の詩」を発表するまでの5、6年間の出来事が中心になっているのだが、スランプ脱出の鍵が“脚本の重要性に気付いたこと”というオチはあまりにも凡庸であり、正直、読んでいてあまり面白くない。ネタ的には興味深いエピソードも少なくないのだが、おそらくこの人はストーリーテリングの能力があまり高くないのだろう。

ということで、作品的には満足と言えないものの、この“5、6年間”には問題の「大泉サロン」の時代が含まれている訳であり、萩尾との同居生活や、山岸も加わえたヨーロッパ旅行の様子の描写にそれなりのページ数が費やされている。勿論、それは竹宮サイドから描かれたものであり、それが萩尾の認識とどう異なっているのか、既に購入してある「一度きりの大泉の話」を読むのが今からとても楽しみです。