一度きりの大泉の話

萩尾望都が“大泉時代”の記憶を綴った「人間関係失敗談」。

ちょっと前に購入しておいたのだが、中上健次の「地の果て 至上の時」を読み終えるのに思ったより手間取ってしまい、なかなか手に取ることができずにいた。しかし、その反動もあってか、本書を読み始めるや否や、すっかりその平易で誠実感にあふれる文章の虜になってしまい、おかげで(決して楽しい話ではないにもかかわらず)最後まで楽しく読み終えることができた。

さて、内容は、漫画家として独り立ちしようとしていた頃の著者の日常が綴られているのだが、読んでいてまず驚かされるのは、「ポーの一族」や「トーマの心臓」といった傑作を次々に生み出していた当時の彼女が、実は不安や迷いを抱いた普通の若者でしかなかったという事実。まあ、多少の謙遜はあるのだろうが、その“自信の無さ”は俺の思い描いていた“天才”のイメージからは程遠いものだった。

しかし、こういった“無自覚な天才”ほど周囲の人間にとって不気味な存在は無いはずであり、その一番の“被害者”が当時の竹宮惠子だったのかもしれない。そう考えれば彼女が取った行動も理解できない訳ではないのだが、まあ、いずれにしても先に“手を出した”のは竹宮の方であり、仮に謝るのだとしたら彼女のほうが先にすべきなんだろうと思う。

ということで、本書の持つ“誠実感”の魔力は非常に強力であり、夜中ベットに横になって読んでいると、我が家の片隅から、若かりし頃の著者が一心にGペンを走らせているときのカリカリ音が聞こえてくるような気がする。大泉のことはこれで終わりして頂いて結構なのだが、是非、その後の漫画家生活のウラ話等についても文章化して欲しいものです。