天城山と修善寺温泉(2日目)

今日は、妻と一緒に伊豆観光を楽しんでから帰宅する予定。

昨夜、早寝をしたせいで早朝から目が覚めてしまうが、朝食の予定は午前7時半であり、それまで散歩でもしようかと妻と連れ立って宿を出る。宿があるのは桂川の畔なので、まずは桂橋を渡って“竹林の小径”に向かうが、そこは長男が小さかった頃に家族で訪れた場所であり、その頃の記憶を思い返しながらしばし懐かしさに浸る。

そこに設置されていた案内板によると修禅寺までは簡単に歩いて行けそうなので、まだ人通りの少ない温泉街をぶらぶら歩いて行く。このお寺を訪れるのは初めてだと思うが、山門の前の石段には菊の花等が飾られており、うん、なかなか良い雰囲気だなあ。明治期に再建されたという本堂も立派なものであり、御簾の向こうにはご本尊の大日如来坐像の姿がぼんやり浮かんでいた。

ここの境内に限らず、随所に立派なもみじの古木が目立つため、妻からは“紅葉の時期にはキレイだろうね”と言われてしまうが、そんな混雑期を避けてのんびり観光するのが我が家の流儀であり、まあ、完全リタイアして平日に遊びに行けるようになったら紅葉目当てに再訪するのも悪くないだろう。

さて、次に向かったのが指月殿であり、そこは暗殺された源頼家の供養のために北条政子が寄進したものらしい。規模は小さいが、“伊豆半島で最も古い木造建築物”だそうであり、こちらはよく見えるご本尊の釈迦如来坐像もなかなか立派。鎌倉時代の作らしいが、まだ金色に光って見えるのは後で金箔を貼り直したせいなのかしら。

その後、桂川の河原にある独鈷の湯を見学してから宿に戻り、美味しい朝食を頂いてからチェックアウト。縦走を諦めたおかげで車を使って観光できるのは有難いことであり、まずは車が混み出す前に、昨日たどり着けなかった天城山隧道を見に行くことにする。

国道を外れて旧道に入ると結構ワイルドな砂利道が続いているが、隧道の前にはトイレや駐車スペースが確保されており、そこに車を止めて見学開始。川端康成の「伊豆の踊子」や松本清張の「天城越え」の舞台になった場所であるが、正直、文学的な風情を感じることは困難であり、おそらくトイレ等の整備が裏目に出てしまったのだろう。歩いて隧道の中にも入ってみたが、変化に乏しい故、10mくらい行ったところで引き返してしまった。

その後、往路では気付かなかった伊豆の踊子文学碑(=ちょっと斜面を上ったところにある。)を探しながら旧道を引き返し、道の駅「天城越え」に立ち寄ってから浄蓮の滝へ向かう。ここも長男が小さかった頃に訪れた記憶が残っており、ジグザグの階段を使って滝の近くまで下りていく。

滝自体のスケールはそれ程でもなく、有名になったのはネーミングの勝利のような気もするが、周囲に鱒釣場やワサビ田が広がっているのがのんびりとした雰囲気を醸し出しており、なかなか良い感じ。最後に、駐車場の売店で定番のワサビ味ソフトクリームを食べてみたが、こちらは冗談以上の味ではなかった。

以上で予定していた天城観光は終了であるが、まだ時間はたっぷりあるので、昨夜、妻がパンフレットで見つけた伊豆の国市にある韮山反射炉を見に行くことにする。世界遺産に選ばれたことで名前だけは知っていたが、伊豆半島にあるというのはやや意外であり、まあ、こんな機会でもなければわざわざ訪れる気にはならないだろう。

さて、しばらく車を走らせていくと山裾にグレイのシートで覆われた構築物らしいものが建っており、おそらくあの中に反射炉があるのだろう。近くにあるガイダンスセンターでチケットを購入すると、係の方が“現在修理中だが、足場から見学できる”と教えてくれたので、映像資料で反射炉の作られた経緯等を学習してから現場へ向かう。

しかし、見学用の足場は工事用シートの外側に付けられているため、そこに上っても反射炉の外観全体を眺めることは出来ず、はっきり言って期待外れ。まあ、世界遺産が必ずしも優れた観光資源ではないということを改めて思い知らされた訳であるが、ちなみに反射炉の外側にある鉄枠は補強用に後から付け加えられたものであるとのこと。

ということで、その後、売店でお土産を購入してから帰途につき、伊豆縦貫道~新東名~東名~圏央道東北道と車を走らせて無事帰宅。妻は天城山を縦走できなかったことを気にしていたようだが、こちらとしてはそんな酔狂に付き合ってもらえただけで大感謝であり、今後ともよろしくお願いします。