亜人

今日は、妻&娘と一緒に佐藤健主演の「亜人」を見てきた。

娘の愛読している漫画が原作らしく、近頃珍しく彼女からのリクエストがあった作品。やや差別的なニュアンスのタイトルは気になるが、最近、俺の趣味にばかり付き合わせているのでその埋め合わせもしなければならない。同じ佐藤健主演の「るろうに剣心」シリーズは面白かったので、意外に期待できるかもしれないと思いながら映画館へ。

さて、ストーリーは、決して死ぬことのない“亜人”であることが判明した主人公の永井が、同じ亜人である佐藤の率いるテロ集団と対決するというもの。永井君にしても決して人間の味方という訳ではないのだが、無意味な殺戮を繰り返す佐藤のやり方についていくことが出来ず、自らの自由を条件に亜人を管轄する厚生労働省に協力を申し出る。

まあ、おそらく俺のように原作を知らない観客がいることは製作側の想定外だったのだろうが、状況説明はかなりおざなりであり、亜人の社会的地位やその特殊能力の限界等についてほとんど何も知らされないまま、少々新鮮味に欠けるエピソードだけが脈絡も無しに続いていくっていう感じ。

例えば、どうやら亜人には基本的人権が保障されておらず、厚生労働省において人体実験の用に供されているらしいのだが、そもそも亜人か否かはその人間が一度死んでみないと分からないはずであり、万が一、自分が亜人だったときのことを思えばそう差別的に扱うことは出来ないんじゃなかろうか。

また、亜人といっても特に身体的能力が常人をはるかに上回っている訳ではなさそうであり、死んでもすぐに復活することと幽霊みたいな分身を操ることが出来ることを除けば普通の人間とそう変らない。したがって、彼らの侵入した部屋なり建物を外側から封鎖してしまえば割と簡単に捕獲できるんじゃなかろうか。

こんな疑問を抱えたまま見ていたので、残念ながら最後まで物語にのめり込むことは出来ず、また、楽しみにしていたアクションシーンも同じようなアクションを延々と繰りかえすだけなのですぐに飽きてしまう。そんな俺の気持ちを察してか、娘の評価も最悪だったようであり、脚本の説明不足を盛んに嘆いていた。

ということで、一度死ぬことによってそれまで受けていた身体的損傷を簡単にリセットできてしまうという設定はゲーム世代ならではのものであり、俺のような老人にはやはり抵抗感があるなあ。娘の説明によると、原作では亜人であっても“死に対する恐怖”は残っているそうであり、映画でもそのへんをきちんと描いて欲しかったと思います。