許されざる者

今日は、人生二度目となる映画の試写会で「許されざる者」を見てきた。

妻が「風立ちぬ(2013年)」の試写会に当選して以来、我が家にはちょっとした“試写会フィーバー”が到来しており、その後、「マン・オブ・スティール(2013年)」に続き本作と、見事3連続当選を果たしている。「マン・オブ・スティール」のときは、仕事の都合がつかない俺に代わり、帰省中の娘が妻と二人で見に行ったのだが、今回は、妻に泊りがけの出張が入ってしまい、娘は既に下宿先に戻っているということで、俺一人での鑑賞になった。

さて、本作はクリント・イーストウッドが監督・主演を務めた「許されざる者(1992年)」のリメイクということであるが、恥ずかしながら、俺にはこの作品を見たという記憶が全く残っていない。当時、タカ派のイメージが強かったイーストウッドを嫌った可能性も無くはないのだが、まあ、見た内容をすっかり忘れてしまった可能性の方が高い。

そんな訳で、本作は全く白紙の状態で鑑賞することが出来たのだが、その評価はなかなか微妙なところ。本作の主人公は、人殺しから貧農へと一度更生するのだが、結局、貧しさに耐え切れず、賞金稼ぎとして人殺しに復帰。そして賞金を手にした後は、私怨(=友人の敵討ち)のためにさらに多くの人を惨殺する。

まあ、これを渡辺謙が苦しそうに(?)演じているので、一見“許される”余地があるかのように思えてしまうのだが、冷静に考えてみれば“許されない”のは当たり前。確かに、最後に殺される警察署長の大石(佐藤浩市)も横暴なんだろうが、少なくとも素人衆には手を出していないので、彼を殺した主人公が直ちに正義の味方とは感じられないんだよね。

ということで、正直、メインテーマは良く理解できなかったし、アクションシーンの出来も冴えないのだが、アイヌ民族の伝統的な風習を破壊しようとする明治政府の横暴がきちんと描かれていたのは大きなプラスポイント。高等学校の授業料無償化の対象から朝鮮人学校を外す等の取扱いは、これとそう変わらないことなのでしょう。