清洲会議

今日は、妻のリクエストにお応えして、三谷幸喜監督の「清洲会議」を見に行ってきた。

日本史はあまり得意ではないのだが、例によって、連日連夜怒涛の如く流れてくるTVからの情報によって“清洲会議”の歴史的意義については十分過ぎるほどに学習済み。個人的には、不要な予備知識は出来るだけ耳に入れたくない方なのだが、妻のように“あらすじを知っていた方が、安心して見ていられる”という人も少なくないのだろう。

しかし、まあ、本作に限って言えば、予備知識が無かったとしても“秀吉勝利”という会議結果は誰にでも容易に予想がつくところ。パラレル・ワールド的な設定を導入し、史実とは別の結果が出る可能性を残しておくという手もあるだろうが、本作はそんな小手先の手段に頼ることなく、堂々と予想どおりの結末に向かってストーリーは展開していく。

したがって、本作の見所は“結末”ではなく“過程”ということになるのだが、奇想天外のビーチフラッグという大ネタ以外にも、要所に細かなギャグをちりばめることにより、なかなか楽しい作品に仕立て上げている。俺が今までに見た三谷作品の中では、本作が一番面白かったかもしれない。

ということで、三谷作品を見ていつも不思議に思うのは、彼の作品から脚本家出身の監督らしい“計算”が透けて見えてこないところ。本作でも伏線になるようなエピソードはあまり出てこないし、会話のやり取りも至って平凡。丹羽長秀池田恒興といったところが、秀吉に簡単に言いくるめられてしまうあたりもちょっと物足りなかったです。