アサシン・クリード

今日は、娘と一緒にマイケル・ファスベンダー主演のアクション映画「アサシン・クリード」を見てきた。

全米での興行成績はあまりパッとしなかったのだが、娘が楽しみにしていた作品であり、先日見て予想外に面白かった「マグニフィセント・セブン(2016年)」のような例もあるということで、とりあえず映画館へ向かう。昨日から一泊二日の予定で箱根へ旅行中の妻は不在だが、まあ、彼女が見逃して悔しがるような内容ではないだろう。

さて、ストーリーは、“アニムス”という装置を使って15世紀のスペインで活躍した自分の祖先(=アサシン教団の伝説的な戦士!)とシンクロした主人公が、現在と過去(の記憶)を行き来しながら秘宝“エデンの果実”の在処を探すというものであり、まあ、荒唐無稽な設定ではあるものの、その点に関しては何の不満も無い。

主人公の祖先であるアギラールマイケル・ファスベンダー)が披露してくれるパルクールを取り入れたアクロバチックなアクションシーンは本作最大の見所であり、高所から空中を滑空して地面に降り立つという“イーグルダイブ”の大技もなかなかの迫力。

問題なのは、話を無理に深刻化・複雑化させようとする(?)脚本・演出の拙さであり、特にアギラールによる格好良いアクションシーンの途中にアニムスに繋がれた主人公の惨めな姿を挿入してしまったのは明らかな間違い。どうせ設定がオバカなのだから、主人公の苦悩を表現するより、観客にスピーディーな動きを楽しんでもらうことを優先すべきだったろう。

また、ストーリー的にはエデンの果実の使い途を分かりやすく説明できていないところが大きな難点であり、終盤、DNA上で人間の自由意志を司る部位を示しているみたいな説明はあるのだが、そんなものが中世においてアサシン教団とテンプル騎士団との熾烈な争奪戦を引き起こす原因になったとは到底思えない。

ということで、Wikipediaによると暗殺教団伝説のモデルになったのはイスラムシーア派の分派であるイスマーイール派らしく、人間の自由意志を尊重するのがイスラム教で、否定しようとするのがキリスト教というのはトランプ政権への皮肉としてもとても面白いのだが、残念ながら続編の可能性は著しく低いと言わざるを得ません。