この世界の片隅に

今日は、妻&娘と一緒にこうの史代の同名漫画を映画化した「この世界の片隅に」を見てきた。

にわか能年ファンの俺としては、妻&娘の前で本作を見に行く旨を宣言することは少々勇気のいる行為だったのだが、幸い二人とも原作漫画のファンであり、彼女が本名で芸能活動を続けることが出来なくなった事情もご存じということで、すんなり賛同を得る。残る不安要素は週明けの興行成績の結果だけであり、満員の客席を期待しながら映画館へ向かう。

さて、上映時間の都合上、いろいろと省略されている箇所はあったが、ストーリー自体はこうの史代の原作に極めて忠実であり、そういった意味では大きな驚きは無い。しかし、妻がいたく感心していたとおり、ごくごく普通の女性の視点から描かれた戦時中の様子は我々庶民にとって非常に親しみやすく、かつ、説得力のあるものであり、期せずして「シン・ゴジラ(2016年)」の“上から目線”に対するアンチテーゼになっているのが面白い。

玉音放送を聴いた直後の主人公やその義姉の“怒り”というのも、(これまでの作品ではあまり描かれてこなかったような気がするが)考えてみればもっともな話であり、戦争で失ったものの大きさに比例してその怒りも激しかったのではないか、という娘の感想も全くそのとおりだと思う。

また、ストーリーがコンパクトになったせいで、テンポが良くなっただけでなく、分かりやすくなったところも少なからず存在したようであり、主人公の少女時代に現れた座敷童の正体が後の遊郭の女性だったかもしれないという点に関しては、妻から指摘されて今回初めて気が付いた。

まあ、何百万人という人間が文字通り必死になって行った戦争が持たざるを得ない“多面性”を指摘したのは確か若き日の筒井康隆だったと思うが、本作の前半でも、間違いなく庶民の中に存在したであろう戦争に伴う高揚感みたいなものがきちんと描かれており、その分、終盤における空襲の恐ろしさが増幅されて伝わってくるという構成の妙はお見事としか言いようがない。

ということで、お目当てだった能年さんのアフレコは期待以上の素晴らしい出来であり、素なのか演技なのかは不明だが、その素直で柔らかなセリフ回しは年老いたにわかファンにとって最上の癒やしであった。にもかかわらず、週明けに発表された興行成績は第10位という微妙な位置であり、果たして、踊り好きのヤンキーやスカートをチラチラさせたエセ女子高生の集団に支配されつつある芸能界において、彼女が安心して女優業を続けていける“片隅”は見つかるのでしょうか。