十二人の怒れる男

1957年作品
監督 シドニー・ルメット 出演 ヘンリー・フォンダ、リー・J.コッブ
(あらすじ)
一人の少年が父親殺しの罪に問われた裁判で、評決を下すために12人の陪審員が裁判所内の一室に集められる。法廷に提出された証拠は被告人である少年にとって不利なものばかりであり、ほとんどの陪審員は簡単に有罪の結論が出るものと考えていたが、ただ一人、陪審員8番(ヘンリー・フォンダ)だけが少年の無罪を主張。その後、白熱した議論は思わぬ方向へと展開していく…


シドニー・ルメットの監督による“法廷もの”の傑作。

午前中の山歩きでお疲れ気味の娘とコタツに入ってTVを見ていたのだが、画面に現れるのは先の米国大統領選挙で大番狂わせの勝利を収めたトランプ氏の顔ばかりであり、見ているだけでどんどん憂鬱になってくる。そこで、気分直しのため、娘がまだ見たことが無いというこの作品を一緒に鑑賞することにした次第。

さて、陪審員による審議が始まる時点で、我々観客に知らされているのは被告人である少年の不安そうな表情だけであり、彼がどのような罪に問われ、それを立証するためにどのような証拠が提出されたのか等の情報については、陪審員たちの議論の過程において少しずつ明らかにされていく。

このあたりの脚本の巧みさは何度見ても感心させられるところであり、カメラが陪審員たちのそばを離れることが無いため、議論が白熱して次第に緊張感が高まっていく様子を見ていて息苦しくなるくらいのリアルさで伝えてくれる。もちろん、演じている俳優たちの高い演技力もそれに大きく貢献しており、娘は、株式仲介人で終始論理的に有罪意見を主張する陪審員番役のE・G.マーシャルを盛んに褒めていた。

まあ、本作が公開されたのはアメリカが東西冷戦における西側の盟主として得意の絶頂にあった頃であり、ここで描かれているヒューマニズムや反差別の主張も、所詮、“金持ちの道楽”といった捉え方をされてしまうかもしれないのだが、今から数十年前、TVでこの作品を見て深い感銘を受けた貧乏学生がいたことも事実であり、どんな状況にあっても理想だけは見失わないようにしたいものである。

ということで、トランプ氏が大統領に就任することにより、しばらくの間、人権や平等を擁護する陣営はそれなりの逆風にさらされることになる訳であるが、その際、米国映画界は本作のヘンリー・フォンダのように時勢に抗うことが出来るのか、それとも我が国のマスコミみたいに口をつぐんでしまうのか、興味深く見守っていきたいと思います。