沈黙

自らもカトリック信者であった遠藤周作による宗教小説。

このところキリスト教関係の勉強が滞っていたので、ちょっと目先を変えてこの有名な小説を読んでみることにした。遠藤周作の作品を読むのは(例によって)これが初めてであるが、文章は予想したよりずっと平易であり、スラスラと読み進めることが出来る。最後の切支丹屋敷役人日記の候文だけはちょっと手こずったが、まあ、傍線を付された固有名詞の前後に注意して読めばその趣旨は理解可能だろう。

さて、この作品に対する評価は、読む人とキリスト教との距離に左右されるところ大であり、コテコテのキリスト教徒にとってみれば“神の沈黙”なんていわば当然のこと。イエスの死後に起きた数々の奇跡が真実だったとしても、彼らが投入してきた信仰に係る膨大なエネルギー量に比べれば、ほとんど無に等しいと言わざるを得ない。

それにもかかわらず神を信じ続けるために考案されてきたのが「ヨブ記」や「最後の審判」をはじめとする様々なアイデアであり、当時のカトリックの司祭であればそういった既存の防御システムを駆使することによって自らの信仰を守ることは十分可能。それが出来なかった主人公のロドリゴ君は単に未熟者だったということになるのだろう。

したがって、本書の主人公に共感を覚えるのは(多くの日本人のように)現在のキリスト教をまるごと信じることに違和感を抱く人々であり、そういった不心得者にとってみれば本書の提示する“一緒に苦しんでくれる神”という新しいアイデアはなかなか魅力的。また、「ユダの福音書」同様、殉教というキリスト教の“犠牲システム”に対する批判になっているところも高く評価して良いと思う。

ということで、俺の考えているイエスというか、神に対するイメージは宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の詩に出てくる“ワタシ”のなりたいものにかなり近いものであり、本書の“一緒に苦しんでくれる神”というイメージもそれとそうかけ離れていない筈。なお、読了後知ったところによると、スコセッシの監督した作品が近々公開予定だそうであり、これは見逃す訳にはいかなくなりました。