スーパーマン:レッドサン

マーク・ミラー原作のスーパーマン物。

とはいっても、前提が“赤ん坊のスーパーマンを乗せたロケットが、アメリカのカンザスではなく、ウクライナの集団農場へと落下していたら”というものであるため、本作のスーパーマンは“ロシア人”であり、ソ連の独裁者スターリンの側近として登場する。

勿論、“善人”というスーパーマンのキャラクター自体はオリジナルどおりであり、スターリンの死後、ソ連の最高指導者に就任した彼は、その超人的なパワーを惜しみなく人民の幸福のために注ぎ込むことによって地上に共産主義者の楽園を実現し、アメリカとチリを除く世界中の国々がそれに参加することになる。

しかし、これでメデタシメデタシとならないのがマーク・ミラーの意地悪なところであり、結局、宿敵レックス・ルーサーの提唱する彼流の資本主義が勝利を収めるという形で一応のハッピーエンド(?)。おそらく、「共産主義=不自由」というイメージが根強いからなのだろうが、「平等≧自由」であるべきという個人的な趣味からいえば、(完成した)共産主義の敗北はちょっぴり残念だった。

ということで、ルーサー流資本主義の具体的な内容が描かれていないため、この結末の評価は不可能であり、それよりも強く印象に残ったのは、(まあ、いつものことではあるが)スーパーマンの“苦労人”としての側面。数百kmも離れた場所における人々の泣き声を聞くことが出来てしまうという超能力は、彼のような善人にとって災いの種でしかないような気がします。