魔の山

学生の頃に「トニオ・クレーゲル/ヴェニスに死す」を読んだ記憶はあるが、これでトーマス・マンを読んだというのもなんなので、長編「魔の山」を読んでみた。

最初読もうとした「ブッデンブローク家の人びと」が近所の本屋に置いてなかったため、急遽こっちに変更したということもあって、本書に関する予備知識は皆無に近かった訳であるが、読んでみるとこれが俺の苦手な病気物。主人公のハンス・カストルプはサナトリウムで療養中の従兄弟のお見舞いに行くが、そこで彼自身も結核に罹患していることが発覚し、そのまま入院してしまう、というストーリー。

一応、“教養小説”というジャンルに属する作品らしく、ハンス君は、ベルクホーフというその高級サナトリウムにおいて世界各地から集まってきた様々な患者たちとの交流を持つことになるのだが、俺にはその交流を通して彼が人間的に成長しているとは到底思えない。西洋近代思想の権化みたいなセテムブリーニと彼の論敵ナフタとの論争は興味深いが、ハンス君はいつも聴き役であり、その論争自体、所詮、現実社会から隔絶された場所でのヒマ潰し的な印象がどうしても拭いきれない。

まあ、怠け者の俺としては、病気を口実に、ベルクホーフという魔の山において“自由”な生活を手に入れたハンス君が羨ましくないこともないのだが、それは“〜することができる自由”ではなく、“〜しなくても良い自由”でしかない訳であり、そこでの生活に対しては(従兄弟のヨーアヒムと同様)何らかの不潔感を抱いてしまう。まあ、作者(時代?)はその代償にとてつもなく大きな試練を用意している訳であるが、ラストでの急展開はなかなか衝撃的でありました。

ということで、本書を読んで一番興味深かったのは、イタリア=フランス型の近代化を受け入れるのに際し、ロシアのみならず、ドイツでさえ相当の精神的な困難(≒抵抗)を伴ったことが分かったところ。竹内好ではないが、こういった国々に比較して我が国が易々と近代化を成し遂げ得たのはいったい何故だったのでしょうか。