流れる

1956年作品
監督 成瀬巳喜男 出演 山田五十鈴田中絹代
(あらすじ)
梨花田中絹代)は、夫と子供に先立たれ、老舗の芸者置屋“つたの家”に女中として住込みで働くことになる。しかし、女将のつた奴(山田五十鈴)が恋人の借金の肩代わりをしたこともあって、つたの家の経営は火の車。そんなとき、昔の知合いで今は料亭の女将をしているお浜の勧めもあり、つた奴は以前世話になっていたパトロンとよりを戻そうとするが….


引き続き山田五十鈴の主演作であるが、こっちは「浪華悲歌(1936年)」から20年の歳月が経っている。

主人公のつた奴は三味線の名人で、芸者としては一流なんだろうけど、金持ちの旦那を捉まえるより、惚れた男につくすっていうタイプ。しかし、さんざん貢いだ男には逃げられてしまい、不本意ながら昔のパトロンに頼ろうとするものの、今度は相手から断られる始末で、結局、店の権利をお浜に売って借金を清算することになる。

一応、お浜の好意により、つた奴は引き続きつたの家を続けられることになり、心機一転で再出発ってところで映画は終わるんだけど、このお浜さんというのが曲者で観客は彼女が近い将来つた奴一家を追い出すつもりなのを知っている・・・。まあ、成瀬作品をあまり見ていない俺が言うのもアレなんだけど、彼の女性を見る目線っていうのは結構冷たいんじゃないのかなあと思ってしまう。

いや、溝口の「浪華悲歌」や「祇園の姉妹」のラストも十分悲劇的なんだけど、いずれの主人公にもその不幸のどん底から這い上がるだけのパワーを感じさせてくれるのに対して、この作品に登場する女たちの不幸はズルズルとちょっと救いがない感じ。まあ、どっちが作品的に優れているのかは分らないけど、個人的には溝口作品のほうが好みです。

しかし、そんなこととは別に本作の豪華な女優陣にはちょっと驚かされる。山田五十鈴田中絹代の両巨頭の他に高峰秀子岡田茉莉子杉村春子といった一線級を揃え、そこに栗島すみ子、中北千枝子賀原夏子といった渋めの面々が加わった様はまさに壮観。懐かしい彼女たちの顔を見ているだけでちっとも飽きない。

これだけの女優陣を使いこなした成瀬の演出力は流石と言うべきなんだろうが、唯一、真面目な女中役に扮した田中絹代が(特にストーリーに絡むのではない割には)ちょっと存在感有り過ぎなところが残念で、おかげで同じく非芸者の立場である高峰秀子の影が薄くなってしまったと思う。