武蔵野夫人

1951年作品
監督 溝口健二 出演 田中絹代森雅之
(あらすじ)
空襲で家を焼け出されてしまった秋山道子(田中絹代)と夫の忠雄(森雅之)は、武蔵野の高台にある道子の実家、宮地家に身を寄せることになる。程なく終戦を迎えるものの、その間、相次いで両親を失ってしまった道子は、遺された宮地家の家を自身の手で守っていかなければならない。そんなところへ、出征していた彼女の従弟の勉が復員してくる….


溝口健二が、「雪夫人絵図(1950年)」の翌年に公開した作品。

道子の実家である宮地家というのはなかなかの旧家らしく、自らの才能だけで大学教授にまでのし上がった忠雄とはどこかしっくりこないようであり、そのせいもあってか、道子と忠雄の夫婦仲も冷めきっている状態。一方、復員してきた勉は大学生で歳は若いものの、れっきとした宮地家の一族であり、彼自身、同年代の女学生よりも道子の方に憧れを抱いている。

ラストは悲劇的であり、命がけで宮地家の家屋敷を守ろうとした道子が自殺を図り、彼女の遺書の中身が明かされることによって、前作「雪夫人絵図」と同様、本作も旧支配階層の衰退がテーマになっているということが明らかになる。そして、そんな彼等にとっての古き良き過去の象徴が“武蔵野”ということになるんだろう。

ただし、(まあ、何箇所かでそれらしき仄めかしはあるものの)こういったテーマに慣れていない今の観客にとっては、もっと早いタイミングでその点を明示していただかないとちょっとピンとこないところがあり、正直なところ、道子の遺書の内容が明らかになるまで、夫婦生活に疲れた人妻と若い学生との不倫の話だとばっかり思っていた。

主演の田中絹代は旧家の跡取り娘という役柄で、まあ、良くも悪くもいつものとおり。これに対し、夫の忠雄に扮する森雅之の方はちょっと彼らしくない俗物キャラに挑戦しており、これはこれでなかなか様になっている。

ということで、本作が公開された当時であれば、この脚本であっても作品のテーマが観客に容易に理解されたのかも知れず、そう考えると本作の評価もなかなか難しい。なお、作中で道子と勉とが当時の武蔵野を散策するシーンはそんなこととは無関係にとても美しく、きっと、今となっては貴重な資料でもあるんだろうなあ。