冬の京都旅行(第1日目)

今日は、妻と一緒に一泊二日の京都旅行に出発する日。

大阪に用事があるという妻から同行を誘われたのは一月以上前のことであり、その時、脳裏に浮かんだのが4年前に伏見稲荷大社から銀閣寺まで歩いた“京都一周トレイル”。そこで、妻が大阪で用事を済ませている間に一人でその続きを歩いてしまい、翌日は二人して鞍馬寺周辺を見て回るというスケジュールを立て、無事、妻の了承を得る。

さて、朝一の新幹線に飛び乗って京都駅に着いたのが午前9時55分。ここで大阪まで向かう妻と一旦別れ、駅のコインロッカーに余分な荷物を預けてから四条河原町銀閣寺行の市営バスに乗る。市内の道路はそれなりに混んでおり、4年前にも訪れた銀閣寺道バス停に着いたのは10時50分のことだった。

そこでGPSのスイッチをONにしてから歩き出すと、浄土寺橋のたもとに懐かしい「東山52-1」のプレート(10時53分)が立っており、いよいよここから京都一周トレイルの再開となる。しばらく街中の舗装道路を歩いていくと、「東山55」(11時1分)の先にバプテスト病院が建っており、そこの駐車場の奥から尾根に取り付くのかと思いきや、ルートは大山祇神社方面に続いており、「東山56-2」(11時9分)を右折してようやく山道に入る。

最初の小ピークである茶山(東山56-3)には11時16分に着くが、周囲には特に見るべきモノもなく、う~ん、前回とは違って随分地味な山歩きになりそうな予感。そんな不満(?)を察知された訳でもなかろうが、「東山59-1」(11時27分)の先からは三十六童子の祠が点在するようになり、横目でそれらを眺めながら11時30分に瓜生山(301m)に着く。

山頂の広場には立派な祠が建っているが、その左脇を下っていくと再び地味~な山歩きとなり、まあ、ほとんど平坦なのでドンドン歩いて行けるのは有難い。いくつか分岐も現れるが、そんなところには必ず京都一周トレイルのプレートが立っているので道迷いの心配は無用。立派な石の鳥居(12時10分)の先を左手に下っていくと何度か渡渉が出てくるが、こちらも全然難しくない。

12時22分に着いた水飲対陣跡(東山69)は南北朝時代の遺跡らしく、ここを左方向に下れば有名な雲母坂に降りられるらしいが、今回は京都一周トレイルに拘ってそこを右折。その先から続く長~い上りが本日最大の正念場であり、何度か終点までショートカットできる分岐が出てくるが、あくまでトレイルに忠実に一歩一歩上っていく。

「東山72」(12時42分)の先では倒木が酷いが、ルートはきちんと確保されており、「比叡ビュースポット」(12時53分)からの眺めをカメラに収めた後、12時56分にケーブル比叡駅の前に立つ「東山74」に到着。ここが「東山コース」の終点であり、プレートの隣の樹木には完走を記念する木板がいくつも掛かっていた。

さて、これで京都一周トレイルの方は一先ず完了であるが、次の目的は比叡山の最高地点である大比叡。ケーブル比叡駅の先に続く車道を歩いていくと、「北山コース」の始点を示す「北山1」(12時57分)が立っているが、次の「北山2」(13時4分)でトレイルから離れ、「ガーデンミュージアム比叡西入口」方面に進む。

とりあえず高い方に向かって歩いて行けば良いのだろうと思っていたが、一番高そうな所にあるガーデンミュージアム(13時12分)は冬季休業中のため中に入れない。仕方がないのでちょっと引き返して再び車道を歩いていくと「比叡山頂バスのりば」(13時17分)の向こうに山頂らしきピークが見えており、おそらくあそこが大比叡だろう。

車道を離れてそのピークを目指して歩いていくと、13時22分にいろんな山名板が掛かっている大比叡(848.1m)に到着。事前学習で拝見した先週末の写真には積雪が写っていたが、ここ数日の気温上昇のせいでみんな消え失せてしまったようであり、ザックに入れてきたチェーンスパイクの出番は一度もなかった。

ここは県境にもなっているので、それを踏み越えて滋賀県に入る。しばらく歩いた先の分岐を左に下りていくと比叡山延暦寺の境内に入ったようであり、今度は阿弥陀堂戒壇院~大講堂といった立派な伽藍を眺めながら歩いていく。根本中堂(13時52分)が修復工事中なのは知っていたが、せっかくなので中に入ってみようとしたところ“巡拝券が必要”との注意書きが目に入る。

近くにあった御朱印の受付所で尋ねてみたところ、巡拝券はちょっと離れたところにある受付所まで行かないと購入できないらしく、う~ん、どうしようかなあ。結局、修復工事が完了した頃にまた来れば良いやということで内部見学は諦め、下山するためにケーブル延暦寺駅(14時15分)へ移動。駅舎の前からは琵琶湖の様子を一望することが出来、これが本日一番の絶景になる。ここまでの総歩行距離は11.4kmだった。

さて、14時30分発のケーブルカーはガラガラだったので、一番前の座席に座ってちょっとした鉄オタ気分。終点の坂本駅からJR比叡山坂本駅までは再び徒歩となるが、お腹が空いてきたので途中にあった「本家 日吉そば」に入ってニシンそば(@900円)の昼食をとる。その後、JR湖西線で京都駅まで戻り、ちょうど用事を済ませてきた妻とそこで合流することが出来た。

ということで、コインロッカーの荷物を回収してから本日の宿泊先である京都タワーホテルにチェックイン。一休みしてから夕食のため外出するが、妻がスマホで見つけたおばんざい屋さんまでの道のりは遠く、味の方も大したことはない。帰りは地下鉄を使い、京都タワーの頂上からの夜景を楽しんでから部屋に戻りました。
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パラサイト 半地下の家族

今日は、妻&娘と一緒に今年のアカデミー作品賞に輝いた「パラサイト 半地下の家族」を見てきた。

正直、韓国映画はそのドロ臭さが少々苦手であり、本作も“まあ、DVDで見れば良いか”と思って油断していたのだが、そこへ飛び込んできたのがアカデミー賞4部門獲得の大ニュース! 何でも、非英語作品が作品賞を受賞するのは史上初めての快挙だそうであり、我が身の不明を恥じながら慌てて映画館へ向かう。

さて、ストーリーは、“半地下”という劣悪な住環境の下で暮らしている4人家族の物語であり、深刻な経済格差を反映して彼ら全員が失業中。そんなところへ転がり込んできたのが女子高生の家庭教師をやらないかという長男ギウの友人からの勧誘であり、妹ギジョンに偽造させた名門大学の入学証書の効果もあってか、見事、ギウは高級住宅地に住むパク家の家庭教師に採用される。

そこで彼が気付いたのは“金持ちは善人である”という事実であり、パク家の人々の人の好さにつけこんで、妹は美術教師、父は運転手、母は家政婦といった具合に家族全員が身分を偽ってパク家の使用人として雇ってもらうことに成功。これが題名の「パラサイト=寄生」の由来になる訳だが、ある夜、鳴り響くインターホンの音とともにドラマはトンデモナイ方向へと急展開!

まあ、映像は洗練されており、いつものドロ臭い喜劇的演出も控え目ということで安心して見ていられるのだが、正直、前半を見終えた時点では“何でこれが作品賞?”っていう疑問が頭から離れない。ところが、地下室→大雨とストーリーが進むに連れて事態は地獄の様相を呈して行き、最後は絶望感に包まれながらの静かなエンディング。すごいモノを見せられたというのが偽らざる感想であり、作品賞、監督賞、脚本賞を独占したのも十分納得できる。

韓国では、1997年の通貨危機に際し、IMFから新自由主義的施策を押し付けられた結果、我が国を上回るスピードで格差社会が進んでいるという話は聞いてはいたが、本作で描かれている半地下の家族の姿は、今や我が国を含む世界中で見られるようになった悲劇であり、そのことが本作をアカデミー賞の国際長編映画賞にとどまらず、作品賞にまで押し上げた理由の一つになっているのだろう。

ということで、過去1年間に見た作品の中にも「万引き家族(2018年)」、「わたしは、ダニエル・ブレイク(2016年)」、「ジョーカー(2019年)」といったように“貧困”をテーマにした作品が増えているのは紛れもない事実。頭部の損傷により笑いをコントロールできなくなったギウが韓国版ジョーカーになってしまう可能性は大であり、2人目、3人目のジョーカーを生み出す前に新自由主義という「悪魔のひき臼」を何とかしなければなりません。

ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密

今日は、妻&娘と一緒にライアン・ジョンソン監督の「ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密」を見てきた。

ずっと気になっている「パラサイト 半地下の家族」と「ジョジョ・ラビット」はまだ上映中なのだが、娘のお気に入りであるライアン・ジョンソン監督の新作とあっては見逃すわけにはいかない。ほとんど宣伝らしい宣伝はされていないものの、アカデミー脚本賞にノミネートされているくらいなので、きっと面白い作品に違いないと期待しながら映画館へ。

さて、ストーリーは、ベストセラー作家ハーラン・スロンビーの突然の死にまつわるミステリイであり、当初、地元警察はハーランの自殺と判断したものの、正体不明の人物から事件の調査を依頼された私立探偵のブノワ・ブラン(ダニエル・クレイグ)は、ハーランの莫大な遺産をめぐる殺人事件ではないかとの疑いを抱く…

実は、かなり早い時点で事件の“真相”は明らかになってしまい、それは献身的でチャーミングな付添い看護師マルタ(アナ・デ・アルマス)の医療ミス(=別の薬と間違って大量のモルヒネをハーランに注射してしまった!)が露見することを防ぐため、モルヒネの過剰摂取で死ぬ前にハーランが自らの喉をナイフで切り裂いて自殺に見せかけたというもの。

ウルグアイから移民してきたマルタは不法滞在の疑いがある母親と同居しており、マルタが業務上過失致死の罪で逮捕されてしまうと母親は本国に強制送還され、家族がバラバラになってしまう可能性が高い。咄嗟にそう考えたハーランは“どうせ死ぬなら”ということで自殺を選択した訳であるが、実は彼にはそうせざるを得ないもう一つの秘密の理由があった!

そんな訳で、事件の真犯人はその“秘密の理由”をあらかじめ知っていた人物ということになり、マルタは業務上過失致死罪に問われることもなく最上のハッピーエンド。彼女は嘘をつくと吐いてしまうという誠実この上ないキャラクターであり、彼女の無罪放免は観客が一番望んでいた結末だったと思う。

また、面白かったのは、移民の問題を上手くミステリイに取り込んでいるところであり、ハーランが一代で築き上げた財産の上にあぐらをかいている彼の親族の姿は、移民の子孫でありながら新たな移民の受入れに反対している今の一部のアメリカ国民にそっくり。そんな親族からの“先祖代々受け継いできた屋敷を…”という抗議を、ブランが“この屋敷は80年代にハーランがパキスタン人から買ったものだ”と言って笑い飛ばすところがとても痛快だった。

ということで、小説にしても十分読み応えのあるくらい良く出来たシナリオであり、家族揃って大満足。ちなみにエンディングに使われていた「Sweet Virginia」は、ローリング・ストーンズが1972年に発表した名盤「Exile on Main St.」に収められていた比較的地味目な曲であり、こういった曲を1973年生まれのライアン・ジョンソンが使ってくれるのは望外の喜び。レストランのBGMに流れていた「Sundown」も、ゴードン・ライトフットが1974年に発表した懐メロです。

大小山~大坊山再訪

今日は、妻と一緒に大小山から大坊山への縦走コースを歩いてきた。

珍しく妻の方から山歩きのお誘いがあったので、両毛地区を代表するこの人気の縦走コースを提案。個人的には、まだ山歩きを始めてから間もない2009年11月に一度歩いたことがあるのだが、あれからもう10年以上経つんだなあという感慨に浸りながら(?)、午前8時半前に大小山登山者駐車場に到着する。

さて、身支度を整えて8時33分に出発する。今回は、これまで歩いたことのないルートを歩いてみようと思い、旧駐車場前の分岐を「妙義山廻り」方向へと右折。人の足によって表土が抉れた登山道は思ったより勾配がキツイものの、まだ歩き出したばかりということもあってそれほど苦にならない。

ちょっとした鎖場を上るとそこの道標(9時2分)には“ここは大岩です”の表示があり、その先で5年前に妻と歩いた西場富士からのルートと合流。前回は少々危なっかしかった妻の岩登りも今回は手慣れたものであり、安心して見ていられる。9時22分、彼女にとっては2度目(=俺は3度目)となる妙義山(313.8m)登頂を果たすことが出来た。

といっても、今回のメインイベントはここからであり、しばらく山頂からの景色を楽しんだ後、大坊山への縦走ルートに入る。途中の小ピークには山名板が掛っているものもあり、仮称毛野山(9時49分)~ガマ岩~あいの山(10時5分)と歩いて行くが、植林されていないため尾根上の樹木は疎ら。見晴らしは良いものの地面はカラカラに乾いており、ズルッと滑りそうになるのがちょっと怖い。

越床峠(10時34分)を通過すると間もなく次のピークへの長い上りとなり、途中の巻き道に入って10時48分に番屋に到着。2009年に訪れたときにはそれほど目立った場所ではなかったと思うが、今では立派な休憩所として整備されており、そこのテーブルに腰を掛けてゆっくり空腹を癒す。

さて、11時7分に再び歩き出すと、その裏山である足利鉱山(11時13分)にも訪れた記憶はなく、前回は立入禁止だったんじゃないのかなあ。しかし、次のつつじ山(11時36分)のことは前回のブログにも記録が残っており、後方に迫ってきた団体さんをやり過ごすためにそこのベンチで一休みしてから、11時54分に大坊山(285.5m)着。

これで“縦走”は完了であるが、ここから駐車場まで歩いて戻らねばならず、大山祇神社(12時15分)へと下山した後はしばらく住宅地の中を歩いて行く。前回は平日だったので少々人目を気にしないでもなかったが、今回は休日だし、還暦も過ぎたしということで罪悪感はゼロ。12時48分に着いたやまゆり学園の裏手から再び尾根へと取り付く。

さすがに妻の足取りは重くなったものの、まだ余力は残っているようであり、スローペースながら着実に尾根筋をたどって13時25分に分岐のある小ピークに到着。次の大小山まで行かなくてもここから下山できると教えてあげると、ちょっと迷った末に同意の意思表示があり、14時04分に駐車場まで戻ってくる。本日の総歩行距離は9.7kmだった。

ということで、歩いている途中に妻のスマホにメールが入り、用事が出来てしまった故、恒例の日帰り入浴はキャンセルして無事帰宅。ちょっと大変だったかもしれないが、きちんと整備されたコースは妻の冬場の体力維持にうってつけであり、来年以降もまた訪れることになるかもしれません。
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キャッツ

今日は、妻&娘と一緒に今、何かと話題のミュージカル映画「キャッツ」を見てきた。

レ・ミゼラブル(2012年)」のトム・フーパー監督があの「キャッツ」を映画化するというので、家族一同、とても楽しみにしていた作品なのだが、一足早く昨年末に公開されたアメリカから聞えてくるのは轟々たる悪評の嵐。確かに予告編を見たときには俺も少々驚いたが、そんなに酷いことになっていたとは露知らず、怖いもの見たさ半分のような複雑な心持ちで映画館へ向かう。

さて、ストーリーはお馴染みの「キャッツ」であり、ジェリクルキャッツによるユニークな歌や踊りの後、長老によって選ばれたグリザベラが天に昇っていくという内容は、基本的に舞台と変わらない。一番の違いは、映画では「ペケスとポーラーの恐ろしい戦い」のパートが省略され、代りにヴィクトリアの歌う新曲「ビューティフル・ゴースト」が追加されているところだろうが、まあ、それにしてもストーリーに直接関わるようなものではない。

では、一体何が悪評の原因になったのかであるが、第一に考えられるのは、CGIフル活用による体毛、ネコ耳、そしてシッポを身に付けた出演者たちのフォルム。俺も予告編で初めてお目にかかったときには度肝を抜かれたものだが、その後、映画館に足を運ぶ度に見ていたのですっかり慣れっこになってしまい、正直、今回は“美しい”とさえ思ってしまった。

事後情報によると、日本で公開されたのはCGIの不具合等を調整した「修正版」だそうであり、その効果なのかもしれないが、真っ白な体毛を纏ったヴィクトリアの姿はとても可愛らしく、彼女のバレエを見ているだけでとても幸せな気分になれる。したがって、これから本作を見に行こうという方には、あらかじめ予告編を10回くらい鑑賞しておくことをお勧めしたい。

次の問題は“ストーリーが分りづらい”という点であろうが、これに関してトム・フーパーは完全に無罪であり、むしろヴィクトリアを主役というか、狂言回し的な位置づけにすることにより、舞台よりずっと分かりやすい作品に仕上がっている。新曲「ビューティフル・ゴースト」も本作のテーマの明確化に貢献しており、監督としてのこれだけの努力が評価されないのは誠にお気の毒としか言いようがない。

しかし、本作で初めて「キャッツ」という作品に触れた人の身になって考えると、まあ、トム・フーパーの計算違いもあったのかもしれない。その一つがレベル・ウィルソンの使い方であり、初見の観客がまだ「キャッツ」の世界観に十分馴染んでいないうちにこの爆弾娘を投入したのは、ちょっと不味かったかもしれない。舞台と違ってしまうが、テイラー・スウィフトあたりと出番を交替しておけば、観客の“忌避感”も随分緩和されたように思う。

ということで、個人的には十分合格点を差し上げられる内容であり、大きな不満はないのだが、心配なのは、本作の大コケがトム・フーパーをはじめとする本作の関係者に悪影響を及ぼしてしまうこと。特に、本作が映画デビューとなるヴィクトリア役のフランチェスカ・ヘイワードは、ミュージカル界にとっても大切な宝物であり、本作の評価を気にすることなく、どんどん新作に挑戦して欲しいと思います。

親鸞と日本主義

政治学者の中島岳志が2017年に発表した親鸞と戦前の国体論との関係を考察した作品。

親鸞の「他力本願」におすがりするのはもう少し先のことと思い、彼に関する勉強はずっとサボってきたのだが、ある意味、アナキズムの極だと思っていた「悪人正機」の親鸞が日本主義と親和性が高いというのはかなり衝撃的なタイトル。そんなところが気になって、ちょっとフライングになってしまうが、たまたま目に留まった本書を読んでみることにした。

さて、そんな驚きは著者も同様だったらしく、それを感じたのは20代になったばかりの頃とのこと。古書店で手に取った三井甲之という人物の著作の中で「親鸞の『絶対他力』の思想が、国粋主義と強く結び付けられる形で展開され、親鸞的日本主義が高らかに掲げられている」のを知って驚き、かつ、混乱してしまったらしい。

したがって、本書の目的は、「親鸞の思想そのもののなかに、全体主義的な日本主義と結びつきやすい構造的要因があるのではないか」という自らの問いに答えることであり、手始めに、第1章「『原理日本』という悪夢」の蓑田胸喜、第2章「煩悶とファシズム倉田百三の大乗的日本主義」の倉田百三、第3章「転向・回心・教誨」の亀井勝一郎、第4章「大衆の救済―吉川英治の愛国文学」の吉川英治といった、俺でも名前を知っている大物たちによるユニークな“親鸞論”が次々に紹介されていく。

蓑田胸喜は、松本清張の「昭和史発掘」の中でも「右翼の狂信的な理論家」として取り上げられていた人物であるが、大学時代の指導教官に嫌われ、宗教学者になるという夢を絶たれたことを契機に三井甲之の親鸞論にハマっていったらしい。そんな彼の思想の原点は「現世の絶対的肯定」であり、「天皇の大御心に包まれた日本は、『そのまゝ』『ありのまゝ』で完成している。時間は永遠に均質で、祖国日本の『絶対他力』に導かれ続けている」と説く。

そのため、マルクス主義者のみならず、「同じ日本主義者でも北一輝大川周明のような国家改造を思考する革新右翼に対して、極めて厳しい態度を取った」そうであり、「あるがままの日本こそが普遍的真理を体現している」と考えるに至った蓑田は、そんな「『日本』が生み出した親鸞の思想こそが、本家本元の釈迦の仏教を凌駕し、真理を表現していると見なした」。

出家とその弟子」の作者である倉田百三の思想遍歴はもう少し複雑であり、成績優秀な学生だった彼は、立身出世を望むエゴイストから出発し、ショーペンハウアーキリスト教西田幾多郎らの影響を受けた後、「恋の挫折と結核という病を経験することによって、存在そのものの『罪』への自覚をもち、キリスト教の信仰を通じて、『悪の自覚』の重要性を説く親鸞への関心を高め」ていった。

しかし、この時点における「倉田が捉えた親鸞は、『自力』の要素が色濃く残された存在」であり、「自己の存在の罪を自覚し、その罪を『善くなろうとする祈り』によって乗り越えようとする『聖者』こそ、倉田の支持する親鸞の姿」。したがって、その当時発表された「出家とその弟子」に描かれていたのは、「真宗門徒が抱いていた親鸞像とは大きく異なる『キリスト教親鸞』であった」。

そんな彼の親鸞像が変化するのは、私生活におけるスキャンダルによって作家としての名声を失い、強迫神経症を患うようになってからであり、参禅によって「宇宙と自分が『一枚』であることを体感した」彼は、もはや「自己の意思や表現は、『自力』ではなく『絶対他力』である」と考えるようになる。

そして、自己が至ったような「すべてが『一枚』となる世界、すべての主体が『弥陀の本願』と一致する世界を現前させ」るために彼が注目したのがファシズムであり、「親鸞思想によって天皇の勅命の絶対性を説き、満州事変の『宿命』を肯定した倉田は、『宇宙の法則』に従う『政治』の実現を訴える」ようになる。

一方、函館の旧家に生まれ、「『富める者』としての『罪』を痛感し」て育った亀井勝一郎は、マルクス主義者として「三・一五事件」で検挙・投獄され、「『卑賤で悲惨な境遇』を手に入れたことによって、罪悪感から解放され、同時にイデオロギーへの妄信から解放され」る。そして、「奈良を旅することで『宗教的回心の第一歩が始まった』」彼は、「一切を『放下』した純粋な仏教精神を、日中戦争を戦う兵士たちの内に見出した」。

さらに、この頃、親鸞を再読することによって「自己の罪はすべて弥陀に凝視されており、自力で乗り越えることなどできない。…すべてを弥陀に投げ出すしか他にない」と悟った彼は、「『弥陀の本願』という『絶対他力』を『天皇の大御心』に重ね合わせていく」。「『はからひ』を捨て、『自力』を捨て、『私』を捨て、すべてを大御心に委ねるあり方こそ、『絶対他力』の実現だった」。

そして、「大東亜戦争は、近代合理主義の悪弊に止めを刺す戦いである。近代を超克するための戦いである。『人間自力主義』を崩壊に導く戦いである。大東亜戦争の勝利によってこそ、新しい世界が切り開かれる」という「亀井の親鸞論は、…命を賭して戦場に旅立つ兵士たちに、論理を与えた。彼らの死に、壮大な意味を与えた」。

また、悲惨な少年時代を経て大衆文学の人気作家になった吉川英治は、「世界恐慌以降の不況は深刻さを増し、政府や財閥への苛立ちが募っていた」という世相を背景に、「大衆と共に、腐敗した政治家・官僚・財閥に対する怒りを強めていた」。「そんな吉川にとって、満州事変勃発の知らせは吉報」であり、「これによって大衆は眠りから覚め、真の祖国愛が蘇った」と感じる。

さらに「五・一五事件」に際しては「憂国の志士が登場したことに昂奮し」、昭和維新を夢みて「作品で大衆を鼓舞すると共に、実際の日本主義運動にも参加するようにな」る。そんな彼が1935年10月から地方紙に連載を始めたのが「親鸞」であり、そこで常に大衆とともに歩む「親鸞の姿に昭和維新への期待を反映させた」彼は、「『大東亜戦争』が勃発すると、…文学者の先頭に立ち、戦争の大義を訴えた」。

続く、第5章「戦争と念仏―真宗大谷派の戦時教学」で描かれているのは、暁烏敏、金子大栄、曽我量深といった仏教関係者たちによる宗教界内部における“親鸞の政治利用”の実態であり、その中心的人物である暁烏は、1903年から雑誌に「『歎異鈔』を読む」を連載し、「歎異抄」を世に広めるきっかけを作った人物でもある。

その連載をまとめた「歎異鈔講話」の刊行によって注目を集めた彼は、間もなく女性との醜聞が原因で中央から身を引くことになるが、その間に経験した海外旅行によって「『日本人であること』を改めて強く自覚する」。そして、「『天照大神様のお心』と『仏様のお心』は同一のものであ」り、「仏陀以前に日本の国を開いた天照大神こそが、その教えの起源であり、神ながらの道こそが仏教である」という確信を得る。

さらに、歴代天皇に継承されている「天照大神様の願」こそが「本願」であると考えることによって、「『弥陀の本願』は『天皇の大御心』と同一視され」、「天皇への随順こそが親鸞の教えである」という結論に至るのだが、彼の理論はそれに留まらず、「『天照大神の大御心』によって誕生した日本の国土は、そのまま阿弥陀仏の極楽浄土となる。…日本人は『神の子』である」というものスゴイ話へと発展してしまう。

当然、それに対しては非現実的という反論が予想されるが、それは「日本という浄土に生まれながら、不満を抱いている人間」が傲慢で自覚が足りないせいであり、「すべての国民が『発願』し、真の臣民となることで、本当の浄土=日本が完成する」。そして「この天皇の『大きいお心』によって世界を包み込み、浄土化」することが「皇国日本の使命であ」り、「暁烏は、日中戦争を世界統一の『聖戦』と位置づけ」てしまう。

1941年2月に真宗大谷派の重鎮が集まった「真宗教学懇談会」が開催されるのだが、そこでの議論をリードしたのがこの暁烏であり、「仏」を「神」の上位概念とする本地垂迹説は退けられ、神祇不拝は曖昧化されて「戦死者は皆平等に『仏』になり、『神』になる」。また、「日常の世俗レベルで『王法』を受け入れる一方、真理の領域である『仏法』を守ろうとした」真俗二諦論まで否定されてしまい、結局、「時局に追随し、天皇への随順」を説く「時代相応の教学」が了承されることになる。

さて、ここまでで本文287ページ中272ページが費やされてしまっており、ようやく冒頭の問いに対する回答が示されるのが終章「国体と他力―なぜ親鸞思想は日本主義と結びついたのか」。ここで著者は「水戸学」とともに明治維新の思想的バックボーンとなった本居宣長の「国学」に注目している。

宗教学者の阿満利麿によると、「宣長は仏教を否定したにもかかわらず、浄土宗からの決定的な影響下にある」らしいのだが、そんな彼が一貫して排除しようとした「漢意」とは「より厳密には人間の賢しらな計らい全般を指す」ものであり、「法然親鸞における『自力』に他ならない」。「一方、日本古来の『やまとこころ』は、一切の私智を超えた存在で、すべては『神の御所為』」、すなわち「『他力』に随順する精神である」。ここでの「法然にとっての念仏は、宣長にあっては、さしずめ和歌である」という阿満の指摘は、とても面白い。

そして、「幕末に拡大した国体論は、国学を土台として確立された。そのため、国体論は国学を通じて法然親鸞浄土教の思想構造を継承していると言える。…ここに親鸞思想が国体論へと接続しやすい構造が浮上する」というのが、著者の用意した回答であり、「浄土真宗の信仰については、この危うい構造に対して常に繊細な注意を払わなければならない」と呼びかけている。

以上、なかなか興味深い内容ではあるが、全体的なバランスからすると第1章から第4章までにウエイトを置き過ぎたようであり、肝心の結論が阿満利麿や橋川文三らの学説の紹介だけに終始しているような印象を受けるところがちょっと不満かな。“思想構造”に着目した分析はやや形式的であり、もう少し親鸞の思想の中身にまで立ち入って、蓑田らの“エセ親鸞論”が本家とは(本質的に?)相容れないものであることを示して欲しかった。

また、序章の「保守思想では、人間の理性には決定的な限界が存在すると考え、人智を超えた伝統や慣習、良識などに依拠すべきことが説かれる。…左翼的啓蒙思想は、設計主義的合理主義によって成り立っており、そこには『理性への過信』が含まれる」という文章が強く印象に残っているのだが、このへんのところを詳しく解説した著者の作品は別に存在するのだろうか。

ということで、エセ親鸞論に共通する手口の一つに“歴史の無視・軽視”があるのだが、これは現代の歴史修正主義者たちにも見られる困った悪癖。本作中でも、河野法雲なる人物が「平田(篤胤)のいふ古神道は如何なるものか。神ながらの内容は空虚である。…日本精神は外来思想(=仏教等)を摂取してゐる」という歴史を主張しているのだが、暁烏は決してそれを真面目に取り上げようとしないんですよね。

2人のローマ教皇

2019年
監督 フェルナンド・メイレレス 出演 ジョナサン・プライスアンソニー・ホプキンス
(あらすじ)
2005年のコンクラーベで現教皇ベネディクト16世アンソニー・ホプキンス)に破れた改革派のホルヘ・ベルゴリオ枢機卿ジョナサン・プライス)は、その7年後、直接辞意を伝えるためにローマ行きを決意する。しかし、そんなところに届いたのが教皇からの直々の招待状であり、彼の別荘であるガンドルフォ城で面会を許されたベルゴリオは改めて辞任を申し出るが、保守派の教皇は頑としてそれを聞き入れようとしない…


またまた今年のアカデミー賞で主演男優賞など3部門にノミネートされているNetflix映画。

最初にネタをばらしてしまうと、このホルヘ・ベルゴリオ枢機卿なる人物こそ、昨年11月に来日を果たした第266代教皇フランシスコその人であり、Wikipediaによると「史実では、2012年にベネディクト16世とベルゴリオ枢機卿が会って双方の辞任について話した事実はな」いらしいのだが、その他の時代背景に関してはかなり事実に忠実のようであり、なかなか興味深い作品になっている。

さて、教皇がベルゴリオの辞意を認めたくない直接の理由というのは、「君の辞職を世間は教会批判と受け取るだろう」というものであり、まあ、教会トップにいる身としては教会内部における保守派と改革派との対立をあまり世間に大っぴらにしたくない、というところなんだろう。

勿論、それだけであれば、カトリック聖職者による性的児童虐待事件における現体制の手ぬるい対応を、改革派の急先鋒の一人として厳しく批判してきたベルゴリオが納得するはずもなかったろうが、実は、教皇にはそれまで自分の胸の内だけに秘めてきた強い願望があり、それはベルゴリオに教皇の地位を引き継いで欲しいというもの。

驚いたベルゴリオは、母国アルゼンチンの軍事独裁政権下における自らの“罪”を告白し、今度は逆に教皇の辞意を撤回させようとするのだが、結局、ベネディクト16世生前退位に伴う2013年のコンクラーベで新教皇に選出されてしまい、メデタシメデタシ。おそらく前教皇には、改革への舵切りを自らの手ですることを憚らせるような事情が山積みだったのだろう。

ということで、教皇フランシスコに対して極めて好意的な内容になっているのだが、まあ、「私は貧しい人々による貧しい人々のための教会を望む」という彼の発言は貴重であり、今後ともその立場からの活躍を期待したい。ちなみに、我が国の天皇にも彼くらいの自由な発言を許すというのも面白いかもしれないが(?)、やはりその場合には“世襲”というシステム自体の見直しが不可避になってくるのでしょう。