今日は、いよいよ熊野古道の前半部分である滝尻王子~継桜王子間を歩く予定。
今回の最大の不安材料は今日と明日の天候であり、予報によると両日ともそれなりの降雨は避けられない模様。当然、雨具や途中のバス停の情報等、事前準備に怠りはないが、出来れば雨が降り出す前に次の宿にたどり着きたいところであり、頭の中にてるてる坊主をイメージしながら宿を出る。
さて、紀伊田辺駅前のバス停で午前6時25分発の始発バスを待っていたのは外人さんカップルと我々の2組だけ。それに途中のバス停で静岡からいらしたという御夫婦連れが加わり、3組そろって7時過ぎに着いた滝尻王子のバス停で降車する。
バス停から数分歩いたところにある「滝尻王子」が現在の中辺路ルートの出発点であり、質素なお社の手前には「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」と刻まれた立派な石碑が建っている。幸い雨はまだ降り出していないものの、他の2組はなかなか出発しようとせず、仕方がないので我々が先頭を切って7時14分に歩き出す。
しかし、いきなりの上り坂の故、スロースターターの妻は辛そうな表情であり、途中で立ち止まって休んでいるところを後ろから来た静岡組に追い越される。この後もこのカップルとは牛馬童子口にある道の駅まで付かず離れずを繰り返すことになるが、だいたい彼らが休んでいるところに我々が到着し、間もなく彼らが出発するというパターンの繰り返しであり、道の駅の先からは全く追い付くことが出来なかった。
さて、最初の目的地である「胎内くぐり」には7時30分に到着する。中に入るつもりは無かったが、静岡組のお二人が果敢に挑戦しているのを見て方針を変更し、彼らに続いて何とか狭い穴から這い出ることに成功。しかし、そこをパスした妻と合流するとザックのサイドポケットに入れておいたペットボトルを紛失していたことが判明し、その回収のために二度目の胎内くぐりを体験することになってしまった。
次の「乳岩」は「胎内くぐり」の出口を少し戻ったところにあり、妻に教えてもらわなければ見逃していたかもしれない。その後も上り坂は続くが、「不寝王子」(7時43分)を過ぎて「剣ノ山経塚跡」(8時14分)に着くと、近くの木の幹に「剣ノ山371m」の山名板が掛っており、ようやくその先から傾斜が緩やかになる。
昨日、列車の中で斜め読みした小山靖憲著の「熊野古道」によると「古道を歩いて暗いと感じるのは、新たに杉や檜を植林した人工林の道であって、古来の自然林の道は明るく快適なのである」とのことであるが、その自然林が残っているのはほんの僅かばかり。そんな暗い人工林の中を歩いていると、例の外国人カップルにあっと言う間に追い越される。
さて、ここまで何とか持ってくれていた天気の方も、「針地蔵尊」(8時49分)を過ぎた頃からやや雨脚が強まってしまい、やむなく雨着の上とザックカバーを装着する。そんな中をNHKの電波塔(9時6分)~「夫婦地蔵」(9時8分)と歩いて行くと9時19分に「高原熊野神社」に到着し、ホッと一息。
その先には立派な休憩所も用意されており、そこの自販機でペットボトル1本を補給する。しばらくは民家が点在する中を歩いて行くが、水場の先から再び山道となり、「一里塚跡」(10時2分)~沼(10時19分)~「大門王子跡」(10時30分)と歩いて行く。「高原熊野神社」附近ではやや弱まった雨脚もこの頃には本降りとなり、十丈王子手前の古い休憩所(11時10分)に入ってしばし雨宿り。
正直、雨の中を歩くのは全く面白くない(=その上、小止みになるとブヨの襲来!)のだが、エスケープポイントとなる牛馬童子口バス停まではまだ相当距離がある。仕方がないので「重點(十丈)王子跡」(11時31分)~「小判地蔵」(11時45分)~「悪四郎屋敷跡」(11時51分)~「一里塚跡」(12時15分)~「上多和茶屋跡」(12時28分)~「三体月伝説」(12時51分)~「大阪本王子跡」(13時17分)と歩き続け、13時35分にようやく牛馬童子口バス停のある道の駅に到着する。
雨が強いときには左手に傘、右手にストックというスタイルで歩いたのだが、道の駅に着いた頃には雨は上がっており、そこで楽しみにしていた“めはり寿司”を頬張っているうちに元気は回復。折角雨が上がってくれたのだからということで、再び終点の「継桜王子」を目指して歩き出す(14時11分)。
いくつ目かの「一里塚跡」(14時27分)を過ぎると、いよいよ“熊野古道のアイドル”と呼ばれる「牛馬童子像」(14時31分)とのご対面。小山氏の「熊野古道」によると「並んでたつ役行者像と同じ明治24年(1891)ごろのもの」とのことであり、歴史的な価値はほとんど無いのだが、とりあえず妻には秘密にしておこう。
その先の坂道を下りていったところにあるのが「近露王子跡」(14時55分)であり、ここから先はほとんど舗装された道を歩いて行く。しかし、近露の集落は決して大きなものでは無く、そこを抜けると地味に長~い上り坂が何度も出てくる。街中の道をぶらぶら歩いて行くつもりだった妻はおそらく“騙された”と思っているだろうが、もう後の祭りである。
そんな舗装道路歩きも「比曽原王子跡」(15時56分)を過ぎればもう少しの辛抱であり、16時18分に待望の「継桜王子」に到着する。最後の力を振り絞って長い石段を上っていくと、狛犬に守られた赤い祠が建っており、今日一日、無事に歩いてこられたことを感謝しながらご参拝。夫婦共々ちょっとした達成感に浸る。
さて、本日の宿である「民宿 のなか山荘」(=2人で19,000円)まではここから1.6kmほど下っていかなければならないのだが、「継桜王子」のベンチから電話してみると「野中の清水」の前まで車で迎えに来てくれるとのこと。この区間は熊野古道に含まれていないので有り難くご厚意に甘えさせて頂き、あっと言う間に宿に到着。本日の総歩行距離は18.5kmだった。
ということで、雨に濡れた衣類を洗濯機にかけ、シャワーで汗を流してから明日の天気予報を調べてみると、う~ん、やはり正午過ぎまで雨のマークが並んでいる。正直、雨の中を長時間歩くのはもうコリゴリであり、バスを使って発心門王子までワープする手抜き策を提案したところ、満場一致で了承。ちなみに、本日の宿泊客は我々を含めて2組だけだったが、もう一組は例の外国人カップルであり、このお二人とは翌日の「桂城」まで何度も顔を合わせることになります。