ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅

今日は、妻&娘と一緒にハリポタ・シリーズの最新作(?)である「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」を見てきた。

ハリポタ・シリーズといっても、本作の舞台になっているのはハリー・ポッターの第1作目の約70年前に当たる1926年のアメリカ。ホグワーツダンブルドアといった単語は出てくるものの、主人公や主な登場人物たちは全員立派な大人であり、正直、“ハリポタ以前”だったら大人だけによる魔法ごっこを見せられるのはちょっぴり苦痛だったかもしれないなあ。

さて、メインとなるテーマは主人公であるニュート・スキャマンダーのトランクから逃げ出した魔法動物を捕まえることなのだが、このトランク、きちんと鍵を掛けておいても逃げられてしまうという欠陥品らしく、これでは観客も安心して魔法動物の捕獲を楽しもうという気分になれない。

さらに、このメインテーマに“オブスキュラスの謎”と“逃亡したグリンデルバルトの行方”というサブテーマが絡み合ってストーリーは展開していくのだが、見ていてこの三者の関係が上手く理解できないため、途中まで相当モヤモヤした気分にさせられる。

最終的には、某大物スターのカメオ出演によって後二者の関係はスッキリ説明されるのだが、メインテーマとの関係については依然として不明なままであり、そもそも主人公がアメリカにやってきた(本当の?)理由って一体何だったのだろう。

一方、イギリスの名優をずらっと並べてみせた旧シリーズに比べると本作の出演者の顔ぶれは少々地味であり、超お久しぶりのジョン・ヴォイトや変わり果てたお姿のロン・パールマンが出ていることはエンドクレジットを見るまで全く気付かなかった。また、ヒロイン役のキャサリン・ウォーターストンの起用には少々首を傾げざるを得ないものの、コメディーリリーフを務めたダン・フォグラーとアリソン・スドルのコンビは大健闘であり、是非、続編にも出演して欲しい。

ということで、1920年代のアメリカでは魔法使いの存在がまだ大衆に受け入れられていないという設定であり、次回作以降、それがどのように変化していくのか興味津々。“社会派”のJ.K.ローリングが自ら脚本を担当しているそうなので、トランプ次期大統領の人権政策如何によっては、それを痛烈に批判するような展開が期待できるかもしれません。