スポットライト 世紀のスクープ

今日は、妻&娘と一緒に「スポットライト 世紀のスクープ」を見てきた。

先のアカデミー賞で作品賞と脚本賞の2冠に輝いた作品がいよいよ公開。例によって、無駄な予備知識は出来るだけ耳に入れないよう注意していたのだが、“カトリック教会が長年隠蔽してきた児童への性的虐待の事実を、新聞記者たちが様々な妨害を乗り越えて暴き出す”という程度の情報はいつの間にか頭の中に入ってしまっており、後は“どんなえげつない妨害工作が行われたのか”を確認するのを楽しみにして映画館へ向かう。

さて、主演のマーク・ラファロマイケル・キートンは、それぞれ過去のアマレス選手やブリーフ親父といった強烈なキャラを封印し、取材活動に没頭する新聞記者役を巧みに演じているのだが、正直、見た目は相当に地味であり、紅一点のレイチェル・マクアダムスもほとんどと言っていいほど色気は見せない。

また、期待していた“様々な妨害工作”の内容も全くの期待外れであり、教会に雇われた殺し屋も出てこなければ、妖艶な美女による色仕掛けも無し。したがって、アクションやロマンスといった華やかなシーンは一度も登場せず、被害者へのインダビューや裁判所への資料請求といった地味〜なシーンが延々と描かれていくだけ。

要するに、本作で取り上げられた取材活動は、やろうと思えば誰でも、いつでも出来たかもしれない程度のものだったのだが、おそらくそのこと自体がこの問題の根深さを示している訳であり、それはすなわち“寝た子は起こすな”ということ。多数派に快く受け入れてもらえない場合には、少数の被害者の存在から目を背けるという心理は、辺野古への基地移転の問題を持ち出すまでもなく、我々の周囲にもゴロゴロころがっているのだろう。

ということで、見終えてからの娘の感想は、“あれだけ地味な映像にもかかわらず、2時間を超える上映時間中、一度も退屈と感じさせなかったのは凄い”というものであり、この意見には俺も大賛成。派手などんでん返しが用意されている訳ではないが、観客の興味を引き付けて離さないいぶし銀のようなストーリーテリングの巧みさは、正しくアカデミー賞脚本賞に相応しいと言わざるを得ないでしょう。