オデッセイ

今日は、妻と一緒にリドリー・スコット監督の新作「オデッセイ」を見てきた。

アメリカ本国から4ヶ月遅れての公開であるが、もう慣れっこになりつつあるし、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒(2015年)」とのバッティングを回避するという“やむを得ない事情”もあったのだろうから、別に腹も立たない。幸い、TV等で取り上げられる機会があまり多くなかったようなので、余分な予備知識を持たないまま映画館へ。

さて、突然の砂嵐によって主人公のマーク・ワトニーが火星に置き去りにされてしまうというオープニングはいささか凡庸であり、次の、見ているだけで痛そうな自己治療シーンにも「プロメテウス(2012年)」のときのような必然性は感じられないのだが、それに続いて描かれる主人公の“明るく前向き”なサバイバル生活はなかなか新鮮な印象で、とても面白い。

状況的にはかなり深刻なんだろうと思うのだが、太陽電池によってほぼ無限のエネルギーが得られるということもあり、高性能の循環システムと持ち前の科学的知識を活かして最大の懸案であった食糧問題も見事クリア。まあ、その後のアクシデントによって再び窮地に陥ってしまうのだが、そんなときにも決して弱音を吐くことはない。

また、ストーリーも良く練られており、結果的にとはいえ彼を置き去りにしてしまった他の火星探索メンバーに対し、物理学上の必然として汚名返上のチャンスを与えているあたりはとても上手いと思う。一方、中国の科学者が救助に加わるのは“大人の事情”によるものなんだろうが、米国と組んで中国に対峙しようと考える人々にとって、あのエンドロールの映像は北朝鮮による“事実上のミサイル発射”のバカ騒ぎより衝撃的だったのではなかろうか。

ちなみに、ちょっぴり口惜しかったのは、鑑賞中に70年代ディスコ・ミュージックの謎(?)に気付かなかったことであり、「ガーディアン・オブ・ギャラクシー(2014年)」のパクリとしか思わなかった我が身の不明を恥じるばかり。「Waterloo」がかかったときには一瞬“あれっ?”と思ったのだが、正直、そこまで歌詞とストーリーとがシンクロしているとは思わなかった。

ということで、「エクソダス:神と王(2014年)」を見たときにはちょっぴり不安になったものの、改めてリドリー・スコットの健在ぶりを確認できて大満足。首を長くして待っている「プロメテウス」の続編もいよいよ本格的に動き出したようであり、どんな作品を見せてくれるのか、いまのうちからとても楽しみです。