山月記・李陵 他九篇

昔から興味だけはあった中島敦の短編集。

勿論、俺が読んだことがある彼の作品は、学校の教科書に載っていた「山月記」だけなのだが、その格調高い文章とドラマチックな展開にいたく感動した記憶がある。そのため、その後も何度か彼の他の作品を読んでみようと思ったのだが、「李陵」の「漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜を発して北へ向かった・・」という難解そうな書き出しに恐れをなし、なかなか手を出せないでいた。

しかし、ちょうど「竹内好 ある方法の伝記」を読んだばかりで、頭の中がアジア主義的(?)になっている今ならばと考え、丁寧な注釈の助けを得ながら読み始めたところ、これが意外なほど何の抵抗もなく中島敦の世界へと入り込むことができ、その漢文調の文体がかえって心地よく感じられるようになってしまった。

全部で11の短編が収められており、いずれもハイレベルの作品ばかりなのだが、やはり「李陵」が一番面白く、李陵、蘇武、そして司馬遷という3人の登場人物による三者三様の生き方の対比は大変興味深い。どんな苦難にも決して節を曲げなかった蘇武、史記の著者として後世に名を残した司馬遷に比べると、李陵の評価はどうしても下になってしまうのだが、そんな彼の平凡さがとても愛おしかった。

また、西遊記沙悟浄を主人公にした「悟浄出世」、「悟浄歎異」の2編は、架空のヒーローの内面をリアルに描くという点では、フランク・ミラーの50年以上先を行っており、彼が「わが西遊記」を完結させることなく早世してしまったことが、とても悔やまれる。

ということで、ラストの「斗南先生」では、伯父である中島端蔵の言葉を借りて、彼自身のアジア主義を声高らかに表明している。調べてみると、中島敦(1909年5月5日生)と竹内好(1910年10月2日生)とは一つ違いであり、自身のアジア主義の結末を見届けることなく1942年末に亡くなってしまったこの小説家のことを、竹内がどう評価していたのか、とても気になるところです。