裁きは終りぬ

1950年作品
監督 アンドレ・カイヤット 出演 ヴァランティーヌ・テシエ、クロード・ノリエ
(あらすじ)
薬学研究所の所長代理であるエルザ(クロード・ノリエ)は、彼女の内縁の夫で、長年癌に苦しんでいた研究所長の求めに応じて彼に致死量の麻薬を投与し、殺人の罪で裁判にかけられる。この裁判には、農夫のエヴァリストや未亡人の骨董商マルセリーヌ(ヴァランティーヌ・テシエ)、カフェの給仕フェリックスといった7名が陪審員として参加することになるが….


安楽死を巡るフランス製の裁判劇。

エルザは正式の結婚をしていない上、キリスト教を信仰しない外国人ということで、陪審員たちの彼女に対する心証はあまり芳しいとは言えない状況。しかも、裁判が進むにつれ、亡くなった内縁の夫から莫大な遺産が送られることや、はたまた彼女に別の愛人(ミシェル・オークレール)がいることなどが発覚したため、安楽死どころか計画殺人の疑いまで出てくる始末。

幸いなことに、こういった事実関係に関しての争いは無く、後はこの事件を審理するために集められた7名の陪審員がこのエルザの行為に対してどういった判断を下すのかという点に焦点が絞られる訳であるが、正直なところ、各人とも自分の信念(≒偏見)やその置かれている環境に応じ、極めて恣意的に判断しているとしか思えないような印象である。

エルザの現在の愛人に(結果的に)騙された形になるマルセリーヌが意外にもエルザに好意的な判断を下すあたりは(彼女の過去の恋愛遍歴を色々と想像させて)なかなか面白かったけれど、陪審員各人による意見の差について突っ込んだ検討がされることもなく、多数決で有罪か無罪かが決められてしまうのはあんまりではないか。

まあ、この裁判劇がフランスにおける実際の裁判をどの程度忠実に再現しているのかは分からないが、実際にこの程度の審理で人を裁くのだとしたら大問題。間もなく始まる我が国の裁判員制度ではもっと精緻な議論がなされることを期待したいが、うーん、意外とこんな程度だったりしたら堪らないなあ。

ということで、アンドレ・カイヤットの作品を見るのは、「眼には眼を(1957年)」に続き、本作が2作目なんだけど、両方ともなかなか印象に残る味わい深い作品だった。ついては、彼が監督した他の諸作品も是非とも見てみたいと思いますので、関係者の皆様、よろしくお願いします。