折れた矢

1950年作品
監督 デルマー・デイヴィス 出演 ジェームズ・スチュワートジェフ・チャンドラー
(あらすじ)
白人とアパッチ族との間に流血の惨事が絶えなかった19世紀後半のアリゾナ地方。金鉱を探しにこの地を訪れたトム・ジェファード(ジェームズ・スチュワート)は、怪我をしたアパッチ族の少年を助けたことから彼等の高潔な人間性を知る機会を得る。町に戻り、郵便が何週間も届かない状況を知った彼は、大酋長のコチーズ(ジェフ・チャンドラー)を訪ね、郵便配達人を襲わないように申し入れる….


インディアンを“人間らしく”描いた西部劇の嚆矢とも言われる作品。

トムは、コチーズと交渉する前にあらかじめ彼等の言語を学んでから会いに行くというようなとても誠実な性格の持ち主ではあるが、あくまでもごく普通の一般人であり、何の権限も持っていない。そのため、命がけでインディアンとの交渉を成功させたにもかかわらず、町民からは裏切り者扱いされ、リンチにかけられそうになる始末。

本作の面白い点は、白人の側にも、インディアンの側にも、和平を望む者とそうでない者とが存在することを前提にしているところであり、とりあえず和平を望む者同士が手を握り、そうでない者に対して共同で粘り強く対処して行こうという姿勢には共感できるところも少なくない。

ただし、パレスチナ問題を持ち出すまでもなく、本来、侵略した側とされた側とを“対等”に扱うこと自体に大きな欺瞞がある訳であり、特に和平交渉の中身が後者の伝統的な生活様式の変更を強いるような場合において、それに同意しない人々(=ジェロニモ一味)を一方的に悪者扱いしているのは、ちょっとどうかと思う。まあ、当時の状況からすればこのあたりが限界だったのだろうし、そういった問題点をそのまま隠さずに描いている誠実さを認めるについては、やぶさかではないけれどね。

また、インディアンが英語でセリフをしゃべったり、大酋長のコチーズやトムと結ばれるソンシアレイといったインディアン側の主要な登場人物が、全員、白人の俳優で占められているといったような、ハリウッド映画ならではのもう一つの限界もある訳ではあるが、こちらについては、脚本上、インディアン側に花を持たせるようなラストを採用することによって見事にバランスが取られている(?)。

ということで、有名なジェロニモのみならず、大酋長のコチーズも実在の人物なのだそうであり、彼が実際にハワード将軍と和平を結んだのが1872年のこと。そして、その後もゲリラ活動を続けていたジェロニモが降伏するのは1886年であり、そんな彼等が映画で“人間らしく”描かれるまでには60年以上の歳月(それと、おそらく2度にわたる世界大戦)を要したことになります。