サロメ

オスカー・ワイルドの代表的な戯曲の一つ。

昨年、倉敷の大原美術館でギュスターヴ・モローの「牢獄のサロメ」を拝見させていただき、その不思議な魅力にちょっと感動してしまった訳であるが、俺の知っている“サロメ”は、「情炎の女サロメ(1953年)」というハリウッド映画でリタ・ヘイワースが演じていた彼女であり、これがモローの描いたサロメとは全然イメージが一致しない。

実は、先日読んだばかりの「イエス あるユダヤ人貧農の革命的生涯」にも、マルコ福音書に記されているところの元々のエピソードが紹介されているんだけれど、これもやはり「牢獄のサロメ」とはちょっと違うような気がするので、止むを得ず、サロメ物の決定版ともいえる本書を読んでみた次第。

さて、耽美主義の大家であるワイルドが本書で描いているサロメは、マルコ福音書に出てくるような無邪気な少女ではなく、自らの欲情を満たすため、自分を拒絶した男の生首を手に入れるという魔性の女であり、うん、これならモローが「牢獄のサロメ」で描いた女性のイメージとそう遠くない。

で、彼もワイルドの「サロメ」を読んでその絵を描いたに違いないと納得したのだが、念のため調べてみたところ、何とその絵が描かれたのは「1873〜76年頃」となっていて、本書が書かれた時期(1890年頃)よりも前だった。

つまり、事実は俺の想像したのとは全く逆であり、「牢獄のサロメ」をはじめとするモローの一連の作品を見たワイルドが、それに着想を得て戯曲「サロメ」を書いたというのが事の真相。いや〜、ギュスターヴ・モロー恐るべし!です。

ということで、参考にさせて頂いた国立西洋美術館のサイトによると、「このヨハネ斬首の逸話は、19世紀になってサロメ自身にヨハネの首を求める動機があったと解釈され、サロメは男性を破滅へと導く世紀末のファム・ファタルの代表となっていく」とのこと。しかし、聖書の中の一エピソードからこんな背徳的な物語を生み出してしまうとは、人間の想像力とは実に罪深いものと言わざるを得ません。