最後の追跡

2016年
監督 デヴィッド・マッケンジー 出演 ジェフ・ブリッジスクリス・パイン
(あらすじ)
テキサス・ミッドランズ銀行の2つの支店で銀行強盗が発生し、テキサス・レンジャーのマーカス(ジェフ・ブリッジス)とアルベルトの2人が捜査に当たることになる。犯人は前科者のタナーとトビー(クリス・パイン)のハワード兄弟であり、トビーは親から受け継いだ農地が借金のカタとしてテキサス・ミッドランズ銀行に差し押さえられないようにするため、どうしても大金が必要だった…


2016年のアカデミー賞で作品賞を含む4部門にノミネートされた作品。

最近注目の監督兼脚本家であるテイラー・シェリダンが脚本を担当しており、てっきり西部劇だと思ってNetflixで見てみたのだが、実際は現代劇。ただし、舞台になるのはテキサス州西部であり、捜査に当たるのがあのテキサス・レンジャーということもあって、確かに西部劇の雰囲気は満点だった。

さて、弟のトビーが親から受け継いだ農地を手放したくないのには特別な理由があり、どうやらその地下には石油が埋蔵されているらしい。彼の望みは先祖代々苦しめられてきた“貧困”から一族を救い出すことであり、石油から得られる利益を二人の息子に残すことによって長年の夢を実現させたいと願っている。

今回の銀行強盗も彼が慎重の上にも慎重を重ねて計画したものであり、そこから彼の真面目な性格が透けて見えるというのが面白い。ただし、肝心の息子たちは、今、離婚した元妻と一緒に暮らしているというのが何とも切ないところであり、父子の間はあまり上手くいっていないみたい。

一方、暴れん坊の兄タナー(ベン・フォスター)はそんな弟とは対照的なキャラであり、臨機応変すぎる行動でトビーをヒヤヒヤさせてばかりいる。しかし、貧困からの脱出という夢を抱いていたのは彼も同じであり、終盤、彼にとって弟は、その夢を実現してくれる希望の星だったということが判明して大号泣。彼の前科(=父親殺し)というのも、荒くれ者の父親から弟を護るためにしたことだったのだろう。

ということで、この二人にジェフ・ブリッジス演じる老獪なテキサス・レンジャーのマーカスが絡むのだから、これが面白くならないハズはない訳であり、久しぶりに西部劇らしい浪花節(?)を満喫。これでテイラー・シェリダンが脚本を担当した作品で未見なのは「ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ(2018年)」だけになってしまったので、ちょっぴり怖そうだけど勇気を出しで見てみようと思います。

トイ・ストーリー4

今日は、妻&娘と一緒にピクサー作品の最新作「トイ・ストーリー4」を見てきた。

9年前に公開された前作「トイ・ストーリー3(2010年)」の最後があまりにも見事なハッピーエンドだった故、続編のニュースを耳にしたときにはちょっぴり不安というか不思議な気分。そんな気持は娘も同様だったらしいが、まあ、天下のピクサーともあろうものが安易な考えでこのシリーズの続編を製作するハズはなく、勇を鼓して映画館へと向う。

さて、ストーリーは、新たにオモチャの仲間に加わったフォーキーが失踪してしまい、そんな彼をウッディらが協力して新たな持ち主であるボニーの元へ連れ戻そうとするっていう内容。実は、フォーキーというのはゴミ箱に捨てられていた先割れスプーン等を使ってボニーが組み立てた“人形”であり、自分のことをゴミだと思い込んでいるためにすぐに“捨てられよう”としてしまうんだよね。

そのミッションの過程で、ウッディはかつての恋人である陶器人形のボー・ピープに再会するのだが、様々な経験を経て彼女は持ち主のいない“独立したオモチャ”に生まれ変わっており、そんな彼女の協力を得て、無事、捕われていたフォーキーの救出に成功。もうここまでで上映時間はほとんど残っていないが、本作の製作意図が明らかになるのは何とここから!

つまり、ここでウッディがフォーキーを連れてボニーの元へ戻れば今までどおりの物語が続くことになるのだが、女の子であるボニーはウッディよりジェシーと遊ぶ方が好きそうだし、今一番のお気に入りは自作のフォーキー。おそらく、これからもウッディがボニーに必要とされるなんてことは期待できないんだろう。

そう考えたウッディはフォーキーをバズに引き渡し、自らはボーと一緒に特定の持ち主のいない新しいオモチャの生き方を選択する。まあ、これはこれで立派なハッピーエンドなのだろうが、同時に“どんな困難を克服してもアンディの元へ帰る”という従来のテーマの否定にも繋がってしまい、心に引っかかるものが残るのも確か…

しかし、ボニーが女の子だったことと前作にボー・ピープが出ていなかったことを手掛かりして、こんな興味深いストーリーを練り上げたピクサー制作陣の能力の高さには脱帽するばかりであり、ここは敢えて問題作を提示してくれた彼らの勇気に免じて本作のラストを素直に受け入れることにしよう。

ということで、見終わった娘も複雑そうな顔つきだったが、まあ、世界中を旅することになったウッディとボーが近所の公園の片隅で我々を待っているかもしれないと思えば、それはそれで楽しいもの。ピクサーにおかれましては、続編でもスピンオフでもかまわないので、またいつの日かウッディやその仲間たちとの再会を実現させて欲しいと思います。

ミュージカル「王様と私」

今日は、妻&娘と一緒に東急シアターオーブ東急シアターオーブで上演中のミュージカル「王様と私」を見てきた。

今年は興味を惹かれるようなミュージカルの来日公演が少なくてガッカリしていたのだが、そんなところに飛び込んできたのが「王様と私」日本公演決定の大ニュース。正直、渡辺謙の歌唱力に一抹の不安が残らないではないが、2015年のトニー賞再演ミュージカル作品賞に輝いた作品を日本で見られるのはめったにないチャンスであり、喜び勇んで東京へ!

さて、開演は午後5時からなので、それまでのヒマ潰しに選んだのが「アラジンカフェ in OH MY CAFE」。会場となる東急プラザ表参道内の店舗前では大勢のお客さんが興味深そうにメニューを覗き込んでいたが、入場するには事前予約が必要であり、娘に頼んで予約をしておいた我が家は定刻どおりに店内へ案内してもらう。

そこでは現在公開中の実写版「アラジン」の映像が映し出されており、アラジンの魔法のランプカレー&ジーニーのヨーグルトスムージー(俺)、魔法の絨毯のケバブサンド&ラジャーのオレンジスムージー(妻)、ジャスミン&ダリアのカラフルパスタ&“A Whole New World”グレープ風味の星空ドリンク(娘)といった料理&飲み物を注文してから、店内を見学。

しかし、期待していたよりも飾り付けは乏しく、流される映像も映画のトレーラーだけ。おまけに運ばれてきた料理等の味もパッとしないということで、う~ん、これは明らかな看板倒れだなあ。仕方がないので20分程で退出し、原宿名物(?)のチーズドックを食べて口直し。正直、こっちもそれ程美味くはなかったが、とりあえずお腹は膨らんだのでいよいよ本命の東急シアターオーブへ向う。

さて、妻が苦労して予約してくれた席は左側の前から2列目。正面ではないが通路沿いなので視界は良好であり、これなら出演者の表情もバッチリだねえと話しているうちに場内が暗くなり、オーケストラ・ボックスからオーヴァーチュアが流れ出す。未亡人のアンナ(ケリー・オハラ)が一人息子のルイを連れて1860年代のシャム王国にやって来るところから始まるのだが、舞台上にはいきなり大きな船が出現し、うん、つかみはOKだね。

その後のストーリーは、これまで何度も見てきた映画版「王様と私(1956年)」とほぼ同じ内容なのだが、改めて拝見すると、人種や女性差別との関係で結構危険なテーマを扱っていることが良く分かる。しかし、それらを天秤の左右に上手く振り分けることによって絶妙なバランスを保っているところはお見事であり、“昔の話だから仕方ないか”と比較的スムーズに許容できてしまう。

また、そんな危険性を孕んだストーリーを渡辺謙の演技力とケリー・オハラの歌唱力がしっかり支えている点も見逃すことが出来ず、正直、後者の魅力は舞台で実際に見聞きしないとなかなか理解できないんじゃないのかなあ。写真で見たときには“ちょっとフケすぎ?”と思っていた彼女が、みるみるうちにデボラ・カーにもひけを取らない美女へと変身していく様はまさに圧巻!

さらに、急遽出演が決まったらしいチャン夫人役のルーシー・アン・マイルズ(=ケリー・オハラと一緒に2015年のトニー賞を受賞している。)をはじめ、皆さん、歌がメチャメチャお上手であり、心配だった渡辺謙の歌唱力もなかなか見事なもの。やっぱり英語の歌は英語で聴くのが一番だね。

ということで、大迫力の「Shall We Dance?」も異国情緒あふれる「The Small House of Uncle Thomas」も期待を上回る見事な出来映えであり、妻&娘共々大満足な気分で会場を後にする。唯一の気掛かりは、会場でもらったチラシ等にも食指を動かされるような来日公演の情報が見当たらないことであり、ここは何とかシアターオーブさんに頑張ってもらいたいところです。

昭和史発掘10

松本清張のノンフィクション作品「昭和史発掘」の続き。

この巻に収められているのは、昭和11年2月26日午前5時をもっていよいよ開始された青年将校らによる武力行使の詳細を描いた「襲撃」と、その日のうちに始まった陸軍幹部に対する「上部工作」の様子を各種資料を元に再現した「『諸子の行動』」の2編。

「襲撃」の具体的内容は既に知られているとおりだが、ほとんどの下士官や兵士が「とにかく、わけの分からないうちに事態が進んでいった」、「どこに向って進軍するのか、どんな敵か私達にはわからない」、「明治神宮に参拝するということで出発した」等といった状況にあるにもかかわらず、実現されてしまうのが軍事クーデターの怖いところ。

それには、「決行将校が下士官兵を命令で従わせる以外、…決行は自分らの中隊だけでなく、第一師団管下の部隊全部または全国の師団の呼応がある」と下士官兵たちに思い込ませていたことも大きいのだが、「あとで事件の内容がだいたい分ってから、こんな小規模なものだったかとがっかりした」というのは、まあ、ご愁傷様としか言いようがない。

一方、首謀者の一人である磯部は「とに角言ふに言へぬ程面白い、余はもう一度やりたい。あの快楽は恐らく人生至上のものであらう」と後日、獄中で回想するほどの高揚ぶり(=著者は「敗北した彼の虚無的な絶叫」と評している。)であり、「もし誤っていた場合は栗原が腹を切ってお詫びすればよい」というのもあまりにも無責任な態度だと思う。

結局、計画の未熟さのせいもあっていくつか取りこぼし(?)も出るのだが、とりあえず「三宅坂平河町霞ヶ関一帯の政治、軍事、警察など一切の権力中枢部区域を一挙に奪い取」ることに成功し、占拠した陸相官邸を拠点にして「軍の責任者に云うことを聞かせようという…香田、村中、磯部らの上部工作」が開始されることになる。

その具体的な内容は次の「『諸子の行動』」で明らかにされるのだが、その前に取り上げられているのが「一切の資料から抹殺されている」という近歩三の中橋中尉による宮城占拠計画。すなわち「中橋が兵をひきいて宮城に入ったのは、武力をもって宮城を制圧しようとしたのである。具体的には坂下門を押え、天皇重臣・高官を分離遮断する目的だった」と著者は考えている。

残念ながら(?)、警視庁を占領していた野中部隊を宮城に導入するための手旗信号が阻止されてしまい、この計画は間一髪のところで頓挫してしまうのだが、その背景には「皇居の庭で激戦が交えられること」に対する中橋の「軍人的な『恐懼』」があったのではないかというのが著者の推理。結局、ここでの失敗は「二・二六の決行そのものの崩壊」へと繋がってしまう。

さて、要人の襲撃と陸相官邸等の制圧を(一応)成功裡に終えた青年将校らは、「この制圧を背景にして、いよいよ彼らのいう上部工作、『昭和維新』実現に向う政治折衝の段階」へと進むのだが、そんな彼らの当面の要求は、情勢の有利なうちに自分たちを「義軍」として認めさせてしまうこと。

しかし、ここで「グズの本領」を遺憾なく発揮した「川島陸相は…当惑をするだけで、相手に何ら言質を与えな」い。駆け付けきた「真崎に『戒厳令を布け』といわれても、また、石原に『断乎討伐』の線を進言されても、決断がつかない」の一点張り。ちなみに、ここで真崎大将が勧めている戒厳令は「これを施行中に皇道派の軍部内閣をつくり、『昭和維新』体制の基礎をつくる」ためのものであり、「もっぱら『叛乱部隊』を『鎮圧する目的』」で「実際に行われた幕僚部による戒厳令とは正反対の性格だった」ことに留意する必要がある。

一方、天皇はかなり早い時期から決行部隊のことを「叛乱軍」に近い感情で捉えていたらしいのだが、そのことを明確に知らされないまま開催された「宮中の非公式軍事参議官会議」(=本来は天皇の諮問に答える目的で開かれる。)は、皇道派の「真崎、荒木のペースに川島陸相の便乗ですすめられ」ることになる。

結局、「諸子ノ行動は国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム」という一文を含む陸軍大臣告示(=第二次下達では「行動」が「真意」に差し替えられている。)や、「決行部隊を『左翼団体』に備える警備部隊として合法化し、現在位置に残置する」趣旨の「軍隊ニ対スル告示」、さらには「『維新大詔』渙発間近しの『内報』」まで得たことにより、「その真意に一抹の不安をおぼえながらも…その日いっぱい勝利感に湧いていた」というのが事件当夜における決行部隊の将校や兵士の状況。

しかし、これに対する著者の批判は痛烈であり、「彼らには決行計画はあったが、そのあとの建設計画がなかった。彼らは…この粛正を志す決行には必ず国民の支持が得られる。かくて破壊のあとには自然と『維新的な』改革が行われると思いこんでいた」というのは、五・一五事件に対する批判とほぼ一緒。

戦略的にも「成功するかどうかは別として、真崎、荒木、西、安部に執拗に喰いつき、あるいは脅迫し、あるいはおだてて、退引ならぬ言質をとるべきであった」、「『大権私議』といわれようが、もう少し勇敢に猪突すべきだった」、「なぜに最初の秘匿された計画通りに宮城占拠まで進まなかったのか」といった批判の言葉が並び、その後に「恐らく陛下は、陛下の御前を血に染める程の事をせねば、御気付き遊ばさぬのでありませう」という磯部の遺恨の言葉を紹介している。

ということで、いよいよ始まった二・二六事件であるが、この手のことは事件そのものよりその後のバタバタした対応や後始末の方がずっと面白いに決まっており、この先どんな展開が控えているのかとても楽しみ。次巻では二・二六事件の「崩壊」までが取り上げられているようです。

昭和史発掘9

松本清張のノンフィクション作品「昭和史発掘」の続き。

この巻に収められているのは、二・二六事件の首謀者の一人でありながら最後まで決行に逡巡し続けた安藤輝三大尉の心境等に迫る「安藤大尉と山口大尉」と、いよいよ決行を明朝に控えた各実行部隊における「凄愴な『秒読み』状況」を詳細に記述した「2月25日夜」の2編。

二・二六事件には当初から総指揮官は存在しなかったが、主だった参加者の「ほとんどが、安藤、栗原、磯部、村中4人の集団指導を認めている」。中でも著者は安藤大尉のことを「彼は決行将校中、もっとも思慮のある将校といってよかろう」と高く評価しており、それは彼が最後の最後まで決行に慎重な態度を見せていたからであろう。

彼を躊躇させた理由の一つは、「昭和維新」を成功させるのに必要な「この行動を承認する国民全体の支持」が得られるのにはまだ「時期尚早」と冷静に判断していたからであり、やはり有能ではあるものの「はじめから元老、重臣は国民の敵だ」と思い込み、「この主観を客観情勢と混同させ」てしまった磯部浅一とは大違い。

もう一つは極めて興味深い理由であり、それは襲撃に兵力を利用することが「統帥権の干犯」に当たるのではないかという疑問。結局、「独断専行」論や「同志集団の決行であって、軍隊としての行動ではない。だから統帥権には関係がない」といった理屈を付けてこの問題をクリアしようとするのだが、下士官や兵を同志というのは困難というのが著者の判断。

具体的な例は次章で山のように出てくるのだが、下士官の中で「昭和維新」に積極的に賛同していたのはごく限られた者だけであり、兵士にいたっては「命令」によって連れ出された者がほとんど。「まして、その行動が軍隊組織そのものであり、使用する武器が軍隊の兵器であれば、統帥権干犯に言い遁れようはない」という著者の評価はもっともな話である。

そんな訳で、安藤大尉は2月19日の会合でも明確に「時期尚早」論を主張しているのだが、「連日悩みぬいた安藤は、最後の一晩返事を留保したのちに、22日の朝早く、磯部に決行参加をはじめて表明」してしまう。これに対する著者の感想は「安藤は、いま武力行使に出ても成功と失敗は四分六分だと見たと思う。…それを敢えて承諾したのは、やはり、栗原や磯部らの尖鋭分子にひきずられたのだ」というもの。

結局、「襲撃の目標、決行の日時、兵力部隊等が決定された」のは2月22日夜になってからであり、その後、決行日が25日から26日に変更されたため、「24日夜の歩一週番司令室での最終共同謀議によって決行計画は具体的に完成した」らしい。正直、こんな急拵えのクーデター計画が実現してしまうのだから、軍隊というのは誠に恐ろしいところである。

さて、次の「2月25日夜」では、いよいよ決行を明朝に控えた歩兵第1・第3連隊、豊橋指導学校、近衛歩兵第三聯隊等における緊迫した様子が描かれているのだが、当日の週番司令を首謀者の一人である安藤大尉が務めていた歩三と、「精神的には同志だが、形式の上では…同志ではない」という山口一太郎大尉が務めていた歩一とでは、準備の進め方に大きな差があるところが面白い。

前章での説明によると、「多少の幅を残して一言でいうと、山口は早くから国家革新思想をもっていたが、決行将校と違う点は、その実現をどこまでも『合法的手段』に拠ろうとしていたところ」だそうであり、山口大尉の当夜の対応も基本的に“見て見ないふり”。首謀者の一人である栗原中尉は、部下に対してギリギリまで決行の情報を秘匿したり、拳銃を突きつけて弾薬庫の鍵を開けさせたりする等、姑息な手段を駆使して準備を進めたらしい。

これに対して、決行を決意した安藤大尉の行動は堂々たるものであり、「六中隊では午後8時の点呼が終った30分後くらいに週番司令の安藤大尉が中隊長室に下士官集合を命じ」て昭和維新の断行を伝達。その後、「『週番司令の命令』で第一中隊の週番士官が堂々と弾薬庫を開かせ、機関銃隊からは機関銃隊下士官兵160名を入手」することが出来た。

一方、もっとも意思の統一が図られていなかったのが豊橋指導学校の対馬竹島両中尉を中心とする西園寺襲撃組であり、25日になって板垣徹中尉が兵力使用に強硬に反対したために急遽計画を断念。彼が反対したのは「兵力使用は大権の冒涜」だからとのことであり、統帥権干犯問題を真剣に考えていた青年将校は決して例外的な存在ではなかったらしい。

ということで、「上官の命はそのことの如何を問わず服従すべきものぞ」という軍隊教育の成果は恐ろしく、ほとんど何も知らされないまま「兵士の大多数は『同志』としてではなく『上官の命令に服従』する一兵卒として出動」することになってしまう。9条改憲を主張するのなら、当然、このように軍事力の鉾先が国内に向う場合のリスクも考慮して欲しいと思います。

デトロイト

2017年
監督 キャスリン・ビグロー 出演 ジョン・ボイエガ、ウィル・ポールター
(あらすじ)
1967年7月、デトロイト市警による違法酒場の摘発を契機に暴動が発生し、黒人コーラス・グループのメンバーであるラリーは、混乱から逃れるために友人フレッドと一緒にアルジェ・モーテルに避難する。しかし、そこの宿泊客が面白半分に空砲を発射したために彼らは狙撃犯の容疑者にされてしまい、他の宿泊客と一緒に警察官のクラウス(ウィル・ポールター)等から厳しい尋問を受けることに…


1967年の“デトロイト暴動”の最中に起きたアルジェ・モーテル事件を題材にした作品。

事件の概要は、狙撃犯の容疑をかけられた3人の黒人男性が現場で射殺されたというものであり、デトロイト市警の警察官3人と現場に居合わせた黒人警備員のディスミュークス(ジョン・ボイエガ)が殺人等の罪で起訴されたものの、結局、正当防衛等が認められて全員無罪になったらしい。

実際、事件は密室(?)の中で起っているため、どちらの言い分が正しいのかは不明なのだが、本作は主に被害者側(=映画では7人の黒人男性と2人の白人女性)の証言を参考にしてシナリオが作られているようであり、白人警察官による人権を無視した兇悪な人種差別的言動が赤裸々に描かれている。

なかでも特に酷いのがウィル・ポールター演じる警察官のクラウスであり、逃げようとする丸腰の黒人容疑者を当然のことのように背後から射殺。また、自白を迫るため、質問に答えない者を次々に別室に連れ出して射殺したように見せかける等、その遣り口は卑劣きわまりないものばかりであり、見ていて本当に怒りがこみ上げてくる。

正直、このウィル・ポールターの鬼気迫る名演技に比べれば、配役の最初に名前が出てくるジョン・ボイエガの存在感など消し飛んでしまうくらいなのだが、そんなウィル君が助演扱いにされたのはおそらく賞レース対策のため。まあ、結果的には、二人とも主要映画賞からは見向きもされなかったので、無駄な努力に終ってしまったのではあるが。

ということで、見て楽しい作品でないことは十分予想していたのだが、それにしても見終わった時点での胸糞の悪さは天下一品。そんなところも賞レースから外された理由の一つなのかもしれないが、誰が何と言おうとこういった作品が必要かつ重要であることは否定できない事実であり、キャスリン・ビグロー監督におかれましては、薄っぺらなポリコレ批判にめげることなく引き続き頑張って欲しいと思います。

雄国山

今日は、妻と一緒に福島県にある雄国山周辺を歩いてきた。

当然、お目当ては見頃を迎えているという雄国沼のニッコウキスゲなのだが、この時期、沼に一番近い雄子沢駐車場はすぐに満車になってしまうらしく、北塩原村HPの指導に従ってラビスパ裏磐梯の駐車場を利用させて頂く計画を策定。沼からの復路で雄国山を経由するルートをとれば、歩いてこの駐車場まで戻ってこられるらしい。

さて、少々アクセルを踏む右足に力が入り過ぎてしまったせいか、予定よりも随分早く雄子沢駐車場前を通過するが、駐車場はちょうど白線内がいっぱいになったところであり、空いているのは大型車3台分のスペースだけ。仕方がないので、予定どおりラビスパ裏磐梯の駐車場まで移動し、小一時間くらい待ってから7時34分発のバスに乗車する。

車内は道の駅のバス停から乗り込んできた2人連れと我々の4人だけであり、意外に空いているなあと思ったら、それもそのハズ、間もなく到着した雄子沢駐車場は超満車状態。大型車用スペースは言うに及ばず、白線外にも止められるだけの車が止まっており、“これならウチも止められたね”と言う妻に、“要領の悪いのが我が家の美点”と言い訳をして7時48分に歩き出す。

駐車場のすぐ先にある登山口からルートに入るとしばらくは平坦な山道が続き、う~ん、楽なのは良いけどこれじゃ梅雨時の運動不足の解消にはならないなあ。その後、いくぶん傾斜が強まってくると、「雄国パノラマ歩道案内図」の立つ分岐(8時54分)を通過して8時59分に雄国沼休憩舎に到着。多数の登山者(?)に混じってゆっくり休憩を取った。

さて、雄国沼の向こうには既に黄色い絨毯が見えており、そこを目指して9時13分に再出発。沼の西側をテクテク歩いて行くと9時34分にニッコウキスゲの群生地に到着し、木道を使って黄色い絨毯の中に入っていく。全体的にはややピークを過ぎ掛けているのかもしれないが、8年前にシャトルバスを使って訪れたときよりも全然キレイであり、何枚も写真を撮りながらのんびり花見を楽しんだ。

その後、雄国沼休憩舎(10時29分)に引き返し、おにぎり&カップ麺の昼食を済ませてから10時52分に帰路につく。往路で通った分岐(10時59分)を左に入ると傾斜は予想していたより緩やかであり、背後に広がっていく雄国沼の眺望を楽しみながら11時32分に雄国山(1271.2m)の山頂に着く。

そこの櫓に上ったりしながらしばらく休憩した後、ラビスパ裏磐梯を目指して下山に取り掛かるが、下りも傾斜は緩やかでありとても歩きやすい。単独であれば小走りに駆け下りたい気分だが、妻のペースはいつもと変わらず、のんびり歩いて13時2分にラビスパ東口と西口の分岐に到着。

こんな分岐があるとは知らなかったが、事前学習で参考にさせて頂いたヤマレコの記録は西口の方を選んでいるようであり、“ラビスパ西口1.0km”のところにあったベンチ(13時17分)で最後の休憩を取った後、13時48分にラビスパ裏磐梯の駐車場まで戻ってくる。本日の総歩行距離は13.6kmだった。

ということで、駐車場代がわりにそこの日帰り温泉を利用させて頂き、すっきり汗を流してから無事帰宅。梅雨時にもかかわらず、雨に降られることも無く山歩きを楽しめたのは幸運だったが、来週末の3連休も天気はパッとしないようであり、う~ん、今年の梅雨には中休みの期間が無いのかもしれません。
f:id:hammett:20190713051757j:plain