「岬」、「枯木灘」、「覇王の七日」の3編の他に短編集「化粧」を収録。
当然、お目当ては作者の代表作である「枯木灘」なのだが、その前・後日潭とも言うべき作品が含まれている故、全集の方で読んでみることにした。ちなみに最後の「覇王の七日」は10ページ余の短編であり、「枯木灘」の本格的な続編である「地の果て 至上の時」は全集の第6巻に収められている。
さて、最初に収録されているのは「化粧」の方であり、作者の出身地である熊野を舞台にした12の短編が収められている。そのうち「修験」、「欣求」、「草木」、「天鼓」、「蓬莱」、「楽土」、「化粧」そして「三月」の8編の主人公はどうやら同一人物のようであり、現在は東京郊外の建売住宅で小鳥を飼いながら妻の両親と同居している。(ただし、夫婦仲は良好とは言い難い。)
しかも、彼の家族関係(=自殺した兄、義父と同居している母親等々)から推測すると、「枯木灘」の主人公(そして、作者自身)との共通点も顕著であり、それのもう一つの後日譚として読むことも可能。特に「草木」に登場する手負いの武士は織田信長に敗れたという伝説の武将、浜村孫一に相違なく、「枯木灘」の読了後に読み返してみるとまた別の面白さを発見することができる。
残りの「浮島」、「穢土」、「伏拝」、「紅の滝」の4編はもう少し古い時代を扱った作品であり、後三者は泉鏡花の「高野聖」に似た幻想的な味わいが魅力的。ちなみに、「浮島」の舞台となった浮島の森や「欣求」の湯の峯温泉、「伏拝」の伏拝は、いずれも一昨年の熊野古道巡りの際、妻と一緒に足を運んだ場所であり、先にこの短編集を読んでいれば訪問時の印象もちょっと変わっていたのかもしれない。
次の中編「岬」は第74回芥川賞に輝いた作者の出世作であり、「枯木灘」の2年前に起きたエピソードが綴られている。主人公は、和歌山県の熊野に住んでいる秋幸という24歳の若者なのだが、多淫な血筋の故か、家族関係はとても複雑であり、4人の異父兄弟の他に、実父が二人の女に生ませた(4人の)異母兄弟や母親の再婚相手の連れ子である義兄がいる。
まあ、これだけ“家族”が揃っていれば自殺に近親相姦、殺人と話のネタに事欠かないだろうが、そんな中で「枯木灘」へと引き継がれる本作のメインテーマになるのは主人公の“自分探し”であり、家族の中でおそらく彼が一番愛着を抱いているのは母親代わりに自分を育ててくれた姉の美恵。
しかし、そんな主人公の前に立ちふさがるのは長兄の郁男であり、主人公だけを連れて再婚相手の元へ走った(=すなわち郁男と美恵を裏切った)母親と郁男の間で繰り広げられた修羅場の数々を、幼かった主人公はしっかり覚えている。しかもその郁男は恨みを抱いたまま24歳のときに自殺しており、今では家族の中で伝説的な存在になっている。
一方、そんな主人公が実父との絆を探ろうとしたのが次の長編「枯木灘」であり、「岬」の設定を引き継ぎながらその2年後の出来事を描いている。「岬」では「あの男」としてしか登場しなかった主人公の実父、浜村龍造は風来坊から成り上がったゴロツキであり、地元での評判も最悪。当然、主人公も理性的には彼を父親として受け入れることが出来ない。
しかし、龍造に饐えたような奇妙な魅力(?)があるのも事実であり、そんな父親に対する反発として、主人公は自身のある秘密を暴露するのだが、龍造はそれをいとも簡単に受け入れてしまう。そして突発的に起きた第二の反発の犠牲になったのが龍造の次男(=主人公の異母弟)である秀雄であり、ちょっとした喧嘩が引き金になって主人公に撲殺されてしまう。
そして愛する息子を2人同時に失った(=1人は死に、1人はその殺人犯になった。)龍造の悲嘆を取り上げているのが、最後の短編「覇王の七日」。「枯木灘」の最後では、秀雄の葬儀の後、龍造が自分の部屋に7日間閉じ籠もったというのは単なる噂に過ぎないと否定されているのだが、どうやらもう一つの並行世界では事実だったようである。
ということで、作者自身をモデルにして始まった秋幸の“自分探し”の旅は、次第にそのスケールを増していき、浜村孫一の伝説を超えて遂には神話の域にまで達してしまったらしい。正直、出てくるエピソードには粗野で暴力的なものが多いため、読んでいて決して楽しくはないのだが、もうここまで来れば次の「地の果て 至上の時」を読まないという選択はあり得ないでしょう。