ゴーン・ガール

今日は、妻と一緒にデヴィッド・フィンチャーの最新作「ゴーン・ガール」を見に行ってきた。

妻がフィンチャー監督の作品を見るのはおそらくこれが初めて。「セブン(1995年)」の監督ということで一抹の不安はあったものの、最近の「ソーシャル・ネットワーク(2010年)」や「ドラゴン・タトゥーの女(2011年)」は比較的まともだったので、特段注意を促すこともなく映画館へ向かう。

さて、何度も見せられた予告編のせいもあって、最初の“ニック編”は、正直、少々退屈なくらいなのだが、続く“エイミー編”に突入すると事態は一変。それまで築き上げてきたイメージはガラガラと音を立てて崩れ始め、最後の“スプラッター編”で遂に真実の姿が明らかになる。世の男性陣にとって、これほど恐ろしい映画もそう多くはないだろう。

まあ、子どもの頃から“完璧なエイミー”と比較されながら育てられた彼女にも同情すべき点は無きにしも非ずであり、一番恐ろしいのは決して笑顔を見せない彼女の両親の方なのかもしれないのだが、今後、生命の危機に怯えながら夫婦生活を送っていかなければならないニックの立場を考えると、とても彼女に同情するだけの気持ちの余裕はない。

先日見た「8月の家族たち(2013年)」にしろ、こういった作品を笑って見られるだけの強さがあれば良いのだろうが、“家族愛”や“夫婦愛”といった幻想を断ち切ることの出来ない凡人にはなかなか難しいのが実態。原作者のギリアン・フリンにおかれましては、是非、この家族の5年後を描いた続編を書いて欲しい。

ということで、見終わってから恐る恐る妻の感想を求めてみたのだが、勧善懲悪的なラストになっていないことにご不満なようであり、まずは一安心といったところ。当面、寝る前に彼女の枕の下を探らなくても済みそうです。