ヒューゴの不思議な発明

今日は、家族で「ヒューゴの不思議な発明」を見てきた。

漏れ伝わってくる情報によると、どうやら少年を主人公にしたファンタジー映画のようなのだが、監督しているのが畑違い(?)のマーティン・スコセッシということで、一体どんな作品に仕上がっているのか興味津々。しかし、当地での人気はいま一つらしく、早くも3Dでの上映は早朝と夕刻だけになってしまっていたため、やむをえず2D字幕版での鑑賞となった。

さて、開始早々、時計の歯車とパリの夜景とがオーバーラップする美しい映像に、“やっぱり3Dで見るべきだったかなあ”と少々後悔してしまうが、ストーリーの方も、壊れたままの古びた機械人形や謎の美少女イザベル(クロエ・グレース・モレッツ!)なんかが登場して、まずは快調な出足。

しかし、一般的な子供向けファンタジー映画とは異なり、主人公ヒューゴの最終的な目的がなかなか明らかにされず、結局、(例の手帳が無くてもちゃんと動いた)機械人形の描いた一枚の絵が手掛かりとなって、“壊れたメリエスを修理する”という本作のテーマが明らかになるのは、映画も半ばを過ぎてから。

まあ、ここからは映画の内容はガラッと変わってしまい、俺のような年老いた映画ファンにとっては実に感動的なお話になっていくのだが、一緒に見ている妻や娘の反応が気になってなかなか映画に集中できない。案の定、見終わってからの彼女等の感想によると、少々物足りなかったらしい。

その最大の原因は、“一人で駅に住んでいる少年”という現実離れした設定と華麗なCG映像にもかかわらず、本作のストーリーが基本的にファンタジーではないこと。確かに、幻想的なシーンはいくつも出てくるが、いずれも表現上のレベルの問題であり、“機械人形が大活躍する”みたいな奇想天外な展開を期待していると、思わぬ肩透かしを食らうことになる。

ということで、パリが舞台の映画であるが、出てくるフランス語のセリフは“ムッシュ”くらいで、あとは全部英語。いっそのこと、メリエス風にセリフ無しのサイレント映画に仕上げていたら、アカデミー賞の作品賞は間違いなかったかもしれません。