貸間あり

1959年作品
監督 川島雄三 出演 フランキー堺淡島千景
(あらすじ)
与田五郎(フランキー堺)は、キャベツ巻の作り方から無痛分娩の研究に至るまで幅広い知識を有する才人であるが、他人からモノを頼まれるとイヤと言えない性格が災いし、今ではよろず引受屋のような生活を送っている。そんな彼のもとへ陶芸家の津山ユミ子(淡島千景)が訪ねてくるが、彼の住む“アパート屋敷”には他にもユニークな人々が大勢住んでいた….


川島雄三監督によるスラップスティック・コメディ。

冒頭、淡島千景扮するユミ子が“アパート屋敷”へとやって来るんだけど、彼女が五郎と出会うまでの僅かな間に次々と登場するそこの住人というのが、桂小金治山茶花究、益田キートン、加藤春哉&市原悦子渡辺篤 &西岡慶子、乙羽信子清川虹子そして浪花千栄子というもの凄いメンバー。

もう、この顔ぶれを見ているだけでワクワクしてきてしまうんだけど、これに藤木悠小沢昭一までが加わるんだから、逆に、これだけのメンバー全員に見せ場を提供しようとしたら、それこそストーリーの収拾がつかなくなってしまうのではないかと心配になるくらい。

そのストーリーというのは、五郎とユミ子の恋の行方をベースに、三人の“旦那”を持つお妾さんのお千代(乙羽)の縁談話や、地方出身の浪人生江藤(小沢)による替え玉受験作戦、妻お澄(西岡)の性欲を満足させられない骨董屋宝珍堂(渡辺)の苦悩といったエピソードが絡んでくるんだけれど、やっぱりというか、お千代の送別会のあたりからストーリー展開が駆け足になってしまっているような印象。

最後は、五郎もユミ子も不在のまま、桂小金治扮する洋さんに川島監督自身の座右の銘ともいうべき“サヨナラだけが人生さ”のセリフを語らせて終わりにしてしまうんだけど、この投げ出し方が人生と正面から向かい合うことを恐れる五郎の生き方とどこかで繋がっているような気がして、なんとも興味深い。

ということで、確かにドタバタではあるけれど、主人公の実存主義的不安(?)の影があちらこちらに顔を出していて、これがコメディかといわれるとちょっと首をかしげてしまう。完成度の面からしても、名作とか佳作とか呼ぶのは憚られるところであるが、まあ、不思議な魅力を持った怪作であることは間違いないようです。