戸田家の兄妹

1941年作品
監督 小津安二郎 出演 佐分利信高峰三枝子
(あらすじ)
戸田家の当主進太郎には2男3女の子供があったが、次男の昌二郎(佐分利信)と末娘の節子(高峰三枝子)以外は既に結婚して家を出ていた。そんなとき進太郎の急死により、彼が知人の債務保証として巨額の手形を振り出していたことが判明し、その返済のために家屋敷は売却、そこに住んでいた妻と節子は長男の進一郎が引き取ることになったが….


引き続き、小津の戦前の作品を鑑賞。

始まって最初の頃は「一人息子(1936年)」とは正反対の裕福な家庭のホームドラマっていう感じなんだけど、当主進太郎の死を契機に嫁と姑さらには兄妹間の確執が次第に表面化していき、「一人息子」とはまた違った形ではあるが、再び親子の問題が浮かび上がってくる。

まあ、昌二郎が母親を厄介者扱いする兄妹に対してブチ切れる気持ちも解らないではないんだけど、そこは結婚して家庭を持っている者とそうでない者との立場の差というものがある訳であり、やはり親を扶養していない現在の俺の目から見ても、あれ程単純に善悪を割り切れるような問題では無いような気がする。

そんなことで脚本的にはやや強引という印象があるんだけど、その原因の一つは前半の状況説明に時間をかけすぎてしまったことにある訳で、そのために本作のテーマが明らかになるタイミングが遅くなり、子供たち(及びその配偶者)のほうを一方的に“悪”として描くというちょっと舌足らずな形になってしまっている。これと同じ問題を親の側から描いた「東京物語(1953年)」は、そのへんに対する反省の上に作られた作品なのかもしれない。

主演の佐分利信は当時30歳を超えたばかりというのに早くも貫禄充分で、うーん、ちょっとイメージが強過ぎるかなあ。高峰三枝子は確かに美人なんだけど、特に正面から見たときに後年のあの迫力あるお顔が二重写しに透けて見えてしまい、正直、引いてしまいます。悪役(=長男の嫁)のほうだけど現代的な美人の三宅邦子のほうが好みでした。

ということで、結局、昌二郎が母親と妹を引き取ることになって一応のハッピーエンドになるんだけど、彼が結婚すればやっぱり嫁姑の問題は避けて通れない訳であり、そのときに彼が両者の間で上手く立ち回れるかどうかはちょっと不安なところ。縁談の相手に会うのが恥ずかしくて逃げ出してしまうというユーモラスなラストは、意外にそんな将来を暗示しているのかもしれないね。