元禄忠臣蔵 前後篇

1941、1942年作品
監督 溝口健二 出演 河原崎長十郎中村翫右衛門
(あらすじ)
元禄十四年、赤穂藩浅野内匠頭長矩が江戸城松の廊下で吉良上野介に対し刃傷沙汰を起こし、それにより内匠頭は切腹赤穂藩は断絶を命じられる。しかし、相手方の上野介には何のお咎めもなかったため、50余人の赤穂藩士は主君の無念を果たすべく誓紙血判をもって家老大石内蔵助河原崎長十郎)の下に結集するが….


年末ということで、恒例の忠臣蔵を溝口作品で鑑賞。

いや、吉良邸討入シーンが無いという話は以前から聞いていたが、ここまで禁欲的な作品とは思わなかった。なにしろ何の説明も無しにいきなり松の廊下のシーンから始まるもんで、年越し気分でまったりとこの大作を楽しもうと思っていた俺としてはここで早くも浮足立ち状態。

だって、いわゆる“忠臣蔵”の面白さっていうのは、忍耐1(吉良による内匠頭イジメ)→爆発1(松の廊下)→忍耐2(浪士達の苦労)→爆発2(吉良邸討入)っていうSM的(?)な物語構成にあると思うんだけど、この作品は全くこの構成を無視して作られているんだよね。

それと、それ以上に問題なのは、科白が昔風の言い回しになっているため、聞いていて良く理解できないという点。まあ、話は忠臣蔵なんで、科白が解らなくても映像を見ていれば何とか大筋くらいは追えるため、前後篇合わせて4時間弱という作品を何とか最後まで見続けた訳ではあるが、これって丁寧な場面づくりを積み重ねた現場の方々の努力の成果というべきなのか、あるいは単に俺の忍耐強さのお陰なのか、正直判断に迷うところ。

特典映像の新藤兼人のインタビューによると、それもこれも理由は溝口がリアリズムに拘った故ということらしく、まあ、それに対しては“そんなら最初っから忠臣蔵なんか撮るな”という批判も可能だろうが、個人的にはここまで頑固を貫き通したのはそれはそれで大したもんだとは思う。

途中、大石がさかんに朝廷の意向を気にしたり、“日本の侍”なんて言葉が飛び出すなど製作当時の時代背景を垣間見られるようなシーンも登場するが、総体的にみればとても真面目に作られた作品と言って良いだろう。俺は溝口にリアリズムは似合わないと思うんだけど、その彼がここまでそれに拘ったのは、ひょっとするとこの作品を単純な戦意高揚映画にさせないための作戦だったのかもしれないね。

ということで、とても年越し気分でコタツに寝っ転がって見るような作品ではないので、これから見ようと思う人には注意が必要。俺も機会があれば平常心で再挑戦してみたいとは思うんだけど、う〜ん、やっぱり科白の分かり辛さが最大の難点かなあ。