判決、ふたつの希望

2017年
監督 ジアド・ドゥエイリ 出演 アデル・カラム、カメル・エル・バシャ
(あらすじ)
レバノンの首都ベイルート公共工事の現場監督をしているパレスチナ難民のヤーセル(カメル・エル・バシャ)は、些細なことがきっかけで自動車修理工場を営むトニー(アデル・カラム)と口論になってしまう。翌日、上司に諭されたヤーセルは謝罪のためにトニーの工場を訪れるが、そこでの暴言に我慢できずに彼を殴ってしまい、問題は法廷で争われることに…


レバノン映画として初めてアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた作品。

レバノンの国内情勢はちょっと複雑であり、大統領を出しているのはキリスト教マロン派だが、人口の約55%を占めているのはイスラム教徒。国内には45万人ものパレスチナ難民を抱えているが、民族宗派間の人口バランスを崩すという理由から帰化が認められておらず、まあ、厄介者扱いというのが本音だろう。

本作の主人公であるトニーはキリスト教徒だが、レバノン軍団(=過去にサブラー・シャティーラ事件というパレスチナ難民の大量虐殺事件を起している。)を支持している右派ナショナリストであり、おそらくヤーセル個人というより、パレスチナ難民全体に対して最初から反感を抱いていたのだろう。

そのため、翌日、謝罪に訪れたヤーセルに対して「シャロンに抹殺されていればよかったんだ」という日頃の本音(?)を口にしてしまうのだが、このシャロンというのは当該サブラー・シャティーラ事件に関与したと言われるイスラエルの政治家であり、パレスチナ難民のヤーセルにとっては聞くに堪えないヘイトスピーチになってしまう。

裁判では、ヤーセルの暴力がこのヘイトスピーチに対する“反応”として許容されるものなのか否かが争われるのだが、複雑な国内情勢を反映して最後は大統領が仲介に乗り出すような大論争へと発展。しかし、ふとしたことがきっかけとなり、二人はレバノン人とパレスチナ難民としてではなく、個人と個人のレベルでお互いを理解し合えるようになって静かなハッピーエンドを迎える。

ということで、我が国でも反日とか、嫌韓とかいう言葉が飛び交っているようであるが、両国とも玉石混淆数多くの人間が住んでおり、それぞれ多様な生活を送っているのだから、それを一言で評価するのは本来不可能なハズ。反日嫌韓という言葉を使っている人を見掛けたら、なるべく近づかないようにするのが一番だと思います。