今日は、妻と一緒に2015年カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた「ディーパンの闘い」を見てきた。
本当はケイト・ブランシェット主演の「キャロル」を見に行く予定だったのだが、直前になって、全く期待していなかったこの作品が“文化果つる街”宇都宮でも上映されていることを知り、急遽予定を変更。本屋に立ち寄って1時間ほど時間を潰してから映画館へ向かう。
さて、難民認定されやすいよう、他人のパスポートを利用して家族になりすましたスリランカ人の3人組(=男女+少女)が、言葉も良く分からないフランスの地で偽りの家庭生活を営んでいくというのがメイン・ストーリーであり、現在、世界的な課題となっている難民問題を、受入れ側からではなく、難民の側から描いているのがとても新鮮。
当然、家族関係を偽ったのはいけないことなのだが、そうしないと難民として受入れてもらえないのだから“仕方ない”し、終盤、麻薬絡みのトラブルに巻き込まれてしまうのも、彼等をそういった好ましからぬ環境に放置した結果であることを考えれば、まあ、“仕方ない”と言わざるを得ない。
しかし、仮に彼等のことをニュース報道で知るとしたら、彼等は“違法に入国した上に地元の暴力組織とトラブルを起こした悪い難民”であり、ますます強力になりつつある難民排斥の動きに拍車を掛ける一因になりかねないというのがとても悲しい。
個人的には、まだ子どもを産んだこともないのに母親役を押し付けられたり、ちょっぴり優しくされたフランス青年にほのかなトキメキを感じてしまうヒロインのヤリニの存在がとても興味深く、彼女の方をストーリーの中心に据えて欲しかったところであるが、まあ、このへんは監督のジャック・オディアールとの嗜好の違いなんだろう。
ということで、暴力に耐えて耐え続けてきた主人公のディーパンが、愛するヤリニのために自己の元兵士としての殺傷能力を全開にするというクライマックスは、まるで我が国のヤクザ映画みたいなのだが、アクションが地味過ぎるため、「タクシードライバー(1976年)」のような爽快感は全く得られない。まあ、このへんもオディアール監督との嗜好の違いなんでしょう。