ファウスト

2011年作品
監督 アレクサンドル・ソクーロフ 出演 ヨハネス・ツァイラー、アントン・アダシンスキー
(あらすじ)
19世紀初頭のドイツ。哲学や神学のみならず、錬金術から医学までを究めたファウストヨハネス・ツァイラー)も、未だに人が生きることの意味を見出せないでいる。生活費を工面するために高利貸のマウリツィウスと知り合いになった彼は、マウリツィウスの案内で町の洗濯場を訪れるが、そこで出会った美しい少女マルガレーテ(アントン・アダシンスキー)に一目で心を奪われてしまう….


ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞したアレクサンドル・ソクーロフの新作。

当然、ゲーテの「ファウスト」がベースになっている訳であるが、冒頭の断り書きにもあるとおり、本作は、それをソクーロフが“自由に翻案”した作品であり、ストーリー自体も原作とかなり異なっている。

そもそも、原作のメフィストフェレスに相当する筈の高利貸マウリツィウスにしても、悪魔だという説明は最後まで全く出てこない。本人は、背中の羽の存在を何度か匂わせるのだが、彼がその醜怪な肉体を晒したときもそれを確認することは出来ず、代わりに認められた短い“尻尾”は、贅肉と一緒に垂れ下がった男性器のように見える。

確かに、酒場の壁からワインを噴出させたりもするのだが、それも悪魔であることの証拠としては相当弱く、ラストでは、ファウストによって、せっかく手に入れた血の契約書を破り捨てられた上、何の抵抗も出来ないまま、石の下に生き埋めにされてしまうという体たらくぶり。

まあ、様々な解釈が可能な作品なので、ソクーロフが本作に込めた意図を読み解くことはなかなか難しいのだが、本作に“神”が登場しないことから推測すれば、マウリツィウスも超自然的な存在としての“悪魔”ではなく、人間の心の中に潜むネガティヴな感情(=自己嫌悪?)を戯画化した存在にすぎないような気がする。

ということで、ラストでマウリツィウスの束縛から自由になったファウストは、新たな目標を胸に抱き、一人で荒野の中を何処かへと去っていくのだが、これがハッピーエンドといえるのかは大いに疑問であり、その後姿にはニーチェの超人に対するような危うさを感じてしまいました。