悪魔が夜来る

1942年作品
監督 マルセル・カルネ 出演 マリー・デア、アラン・キュニー
(あらすじ)
15世紀のフランス。ユーグ男爵の城では、連日、娘のアンヌ(マリー・デア)と騎士ルノーとの婚約を祝う宴が催されており、そこに悪魔の使いであるジル(アラン・キュニー)とドミニクの二人が吟遊詩人の姿で現れる。彼等の役目は人間を堕落させることであり、早速、ジルはアンヌを、ドミニクはルノーをそれぞれ誘惑しようとするが、アンヌの純粋な気持ちを知ったジルは彼女を本気で愛するように….


マルセル・カルネが、ナチス・ドイツ占領下のフランスで発表した作品。

ジルとドミニク(アルレッティ)はかつて恋人同士だったらしいのだが、結局、お互いの不信感からその愛を成就させることが出来ず、悪魔と“人間を誘惑して堕落させ、絶望させる”という契約を結んでその手下になる。その契約の見返りとして、美しい容姿や歌の才能、さらには時間を止めるという超能力まで手に入れた彼等は、それらを駆使して人間たちを堕落させることに精を出す。

こんな魅力的な設定に加え、アラン・キュニーとアルレッティという、まあ、とても一筋縄ではいきそうにない二人の名優を配した本作は、名作になる条件を全て備えており、奇怪な3人の小人が跳梁跋扈する前半は、ストーリー、雰囲気ともに文句なく面白い。

しかし、男装の麗人であるドミニクの大活躍ぶりに対し、アンヌの純愛攻撃の前に敢え無く撃沈されてしまうジルの方は全くの期待ハズレであり、怒った悪魔御自身が登場するあたりから次第にパワーダウン。最後は、ジルとアンヌに悪魔を加えた他愛ない三角関係のお話になってしまう。

見終わってから調べたところによると、愛し合うジルとアンヌの胸の鼓動が、悪魔によって石にされた後も止まない、という本作のラストシーンには、ナチス・ドイツに占領されていても、フランス人の自由な精神まで従わせることは出来ない、という反ファシズムのメッセージが込められているとのことであったが、正直、映画を見ただけではそんな高潔なメッセージは伝わってこないと思う。

ということで、ドミニクに扮したアルレッティは、公開当時44歳。確かに、スラリと伸びたおみ足はまだ十分に魅力的ではあるが、年齢に相応しい落ち着いた雰囲気は恋愛物の登場人物としてはちょっと違和感があり、そんなところが、俺が「天井桟敷の人々(1945年)」を苦手とする大きな理由の一つです。