鬼火

1963年作品
監督 ルイ・マル 出演 モーリス・ロネ、ベルナール・ノエル
(あらすじ)
ニューヨークに妻を残し、パリ近郊のベルサイユにある精神病院でアルコール中毒の治療を受けているアラン(モーリス・ロネ)。4ヶ月に及ぶ療養生活の結果、医師から退院を勧められるまでに回復するが、再び社会に出て平凡な生活を送ることに意味を見出せなくなっている彼は、隠し持った拳銃で自殺することを決意し、人生最後の日を過ごすために一人でパリの旧友を訪ねて回る….


ルイ・マルが31歳のときに公開されたヌーヴェル・ヴァーグ幻の名作(?)。

既に自殺する日付(=7月23日)まで決めている主人公アランの最後の2日間の行動を淡々と綴った作品であり、カメラは最初から最後までずっと彼のそばを離れない。また、回想シーンも出てこないため、観客は、アランが死を決意するに至った経緯等について、彼と接触する人々の会話の内容から推測しなければならない。

それによると、20歳代の彼は、その恵まれた容姿と芸術的才能からパリの一部でカリスマ的な評価を受けており、当然、彼に憧れる女性も多かったらしい。その後、ニューヨークに移り住むことになったのは、おそらく、加齢(=といっても、せいぜい30歳そこそこだと思うが。)に伴う容色の衰えや才能の枯渇と無関係ではなく、また、それらは彼がアルコール中毒になった原因でもあるのだろう。

まあ、俺にはそのような経験は無いものの、若者が平凡な大人になることを拒否しようとする気持ちは理解できるし、特に人一倍派手な青春時代を経験してきたアランにとっては、そんな気持ちもひとしおだろうということで、彼が自殺を選ぼうとした気持ちも分からないではない。

しかし、実際にはほとんどの若者が平凡な大人になっていく訳であり、それは監督、脚本を担当したルイ・マルも、アランを演じたモーリス・ロネも同じこと。本作は、アランの放った一発の銃声で幕を閉じるのだが、案外、そこで死んだのは“若者としてのアラン”であるに過ぎず、あの後、本人は平凡な大人への道を歩んでいったのかもしれない。

ということで、BGMにはエリック・サティピアノ曲が使用されており、公開当時、この名曲がどのくらい大衆に知られていたのかは分からないが、本作の陰鬱なムードに見事にマッチしていました。