ミズーリ横断

1951年作品
監督 ウィリアム・A.ウェルマン 出演 クラーク・ゲイブル、マリア・エレナ・マルクェス
(あらすじ)
西部開拓時代のミズーリ州。猟師のフリント・ミッチェル(クラーク・ゲイブル)は、ビーバーの宝庫といわれる地域を支配するブラックフット族との友好を深めるため、彼等の呪術長の孫娘カミーラ(マリア・エレナ・マルクェス)を妻に迎える。しかし、白人に土地を荒らされることを嫌う一部のブラックフット族の妨害により、猟場へと向かうフリントとその仲間たちの旅は困難を極める....


久しぶりにウィリアム・A.ウェルマン監督による西部劇を鑑賞。

フリントがカミーラに興味を持ったのは、ビーバー猟を円滑に行うためという打算的な考えからなのだが、幸い、彼女の方は初めて顔を合わせたときからフリントを気に入っていたようであり、二人の仲は急速に接近。そうして生まれた彼等の子どもが成長し、幼い頃に父親のフリントから聞かされた昔話を物語る、っていう形でストーリーは幕を開ける。

したがって、当然ながら、フリントが正義の味方であり、ブラックフット族の反白人派の急先鋒であるアイアンシャツが悪者という図式でストーリーは進んでいくのだが、正直、“我々の土地を荒らすな”というアイアンシャツの主張にも相当の理由があるように思われるため、フリントとその仲間たちの行為を100%肯定的に受容することも出来ない。

勿論、最後のクライマックスは、フリントとアイアンシャツとの一騎打ちになる訳であるが、そこに至るまでの間、猟師たちが娯楽として行う射撃大会の様子など、ストーリーとは直接関係のない、ドキュメンタリーのような描写にそれなりの時間を費やしているのは、本作を単純な勧善懲悪ものにすることを潔しとしないウェルマン監督の配慮だったような気がする。

また、フランスからの移民はフランス語を話し、先住民族の方々は彼等自身の言葉を話すという当たり前のことが、そのまま当たり前に描かれていることも好ましく、通訳を一手に引き受けるピエール役のアドルフ・マンジューがいつもどおり良い味を出していた。

ということで、フリントとその仲間たちは、道なき道を進む過酷な旅の末、ようやく猟場にたどり着く訳であるが、狩猟のための基地として、大平原の真ん中にポツンと造られた砦の醸し出す居心地の悪さが、そのまま彼等の立場を表しているような気がしました。