小間使の日記

1963年作品
監督 ルイス・ブニュエル 出演 ジャンヌ・モロー、ジョルジュ・ジェレ
(あらすじ)
セレスティーユ(ジャンヌ・モロー)は、片田舎に屋敷を構えるモンティーユ家の小間使いとして働くため、一人でパリからやって来た。その屋敷には高齢の当主とその娘夫婦の他、粗野でユダヤ人の排斥運動に熱心な下男のジョゼフ(ジョルジュ・ジェレ)など数名の使用人が暮らしていたが、そんなとき、屋敷に出入りしていた少女が森も中で暴行され、殺されるという事件が発生する….


ルイス・ブニュエルのフランス復帰第一作。

モンティーユ家の老当主は靴フェチだし、その娘婿はほとんど色情狂、さらに下男のジョゼフはサディスティックな性向の持ち主らしいということで、そんな異常な環境の中に一人放り込まれた美しいセレスティーユの運命や如何に、という作品かと思ったら、途中でいきなり少女の暴行殺人事件が発生!

その後は、少女を可愛がっていたセレスティーユが素人探偵になり、容疑者であるジョゼフの犯行の証拠を探すという展開になるのだが、ミステリイ色は皆無な上、色仕掛けまで使ってやっと警察に逮捕させたジョセフが、結局は証拠不十分で釈放されてしまうというなんともスッキリしない結末。

時代設定は第二次世界大戦前夜ということらしく、反ユダヤを掲げた右翼グループのデモ行進に一般民衆が賛意を表すというあのラストシーンを含めて考えると、ユダヤ人排斥主義者であるジョセフの釈放は、どうにも止めることが出来ないナチズムの台頭を仄めかしているのかも知れない。

まあ、そのナチズムに飲み込まれてしまうかもしれないブルジョア階級の有様も決して褒められたものではないんだけれど、同じ愚かさだとすれば、おそらく、ブニュエルは後者の方に幾ばくかのシンパシーを感じていたものと思われ、それが後の「ブルジョワジーの秘かな愉しみ(1972年)」等の作品へと繋がっていくのだろう。

ということで、ブルジョアとプロレタリアという区分から見ると、本作の主人公である小間使いというのはちょっと微妙な立場にある職業であるが、そこは泣く子も黙るジャンヌ・モローということで、黒のメイド服に身を包み、可愛らしさの片鱗をチラつかせながらも存在感のある演技を見せていました。