ミラノの奇蹟

1951年作品
監督 ヴィットリオ・デ・シーカ 出演 フランチェスコ・ゴリザーノ、グリエルモ・バルナーボ
(あらすじ)
捨て子のトト(フランチェスコ・ゴリザーノ)は親切な老婆に拾われるが、その後彼女は死んでしまい孤児院に預けられることに。青年になったトトは孤児院を出るものの住む家はなく、浮浪者の仲間たちと一緒にミラノ郊外の空き地にバラックの街をつくる。ところが、ある日、その土地から石油が噴き出し、それに目を付けて土地の権利を入手した地主のモッビ(グリエルモ・バルナーボ)は彼等を追い出そうとするが….


デ・シーカが「自転車泥棒(1948年)」の3年後に発表した作品。両方とも貧しい人々の暮らしを描いているんだけど、あっちがイタリアン・リアリズムの代表作といわれるのに対し、何とこっちはファンタジー仕立てだった。

主人公のトトは、イタリア版ミッキー・ルーニーみたいなキャラであり、何事にもくじけないとても前向きな性格。しかし、そんな彼も度重なる地主の立ち退き要求に困ってしまうんだけど、何とそのとき、ずーっと前に死んだ彼の育ての親である老婆の霊が現れ、天国から盗み出してきた何でも願いが叶う鳩をトトに届けてくれるんだよね!

で、ここからはトトとその恋人、それに浮浪者の人々やモッビが連れて来た軍隊、老婆の霊、鳩を取り返しに来た天使等々が入り乱れてのドタバタ劇へと発展し、最後はドゥオモ前の広場で仰天のラストを迎える!!

いやー、これまでもいろんな映画で数々の“奇蹟”を見てきたが、本作のこのぶっ飛んだ感覚は凄いなあ。最初はあまりの安易な展開にちょっと愕然としてしまったけど、良く考えてみればあのラストはトトたちの“死”を意味している訳で、その直前に鳩の力によって浮浪者たちの様々な願いが叶えてもらえたのも、まあ、せめてもの慰めであり、また、物質的な満足では真の幸福は得られないというメッセージでもあるんだろう。

そんな中でちょっと興味深かったのは、黒人男性と白人女性に関するエピソード。多分、この二人は社会の目に耐えられずに別れたらしいんだけど、お互いまだ忘れられない。そこで彼は鳩の力で肌の色を白くしてもらい、喜び勇んで彼女に会いに行くんだけど、そこには肌を黒く変えてもらった彼女が待っていた・・・。

いや、他の浮浪者たちの願いにしたって相当我儘なものばかりなんだけど、何故かこの二人だけは妙に冷遇されるんだよね。良く解らないけど、神様は目の前にある幸せを掴もうとしない人たちは助けてくれないってことなのかなあ。最終的にこの二人がみんなと一緒に神の国で幸せになれたのか、ちょっと心配なところです。

ということで、ミラノが舞台のため、最初の方でヴィットリオ・エマヌエル2世ガラリアがちょこっと写るし、ラストではドゥオモ前の広場にあったヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像も出てきたりしてちょっと懐かしかった。しかし、それにしてもドゥオモをバックにしたあのラストシーンは強烈だなあ。