ゲゲゲの鬼太郎

今年のゴールデンウィーク映画の目玉のひとつ。最初は娘もバカにしていたんだけど、TVでの宣伝攻勢にまんまと乗せられ、(怖いもの見たさということもあって)一時帰省中の長男も含め、久々に家族全員で見てきた。

邦画というか、特に我が家が見に行くような娯楽作品に対しては、最近、大きな期待は持たないようにしているんだけど、まあ、そのレベルでいえば“楽しくていいんじゃない”ってところかなあ。いろんな役者さんたちがいろんな恰好で出てくることもあり、それを見ているだけでも一応飽きはこないしね。

でもね、ストーリーのほうはもう少し何とかならんもんか。父親との約束を守るため、妖怪石の在り処を必死に隠し通す少年の健気さってあたりがこのストーリーの一つのポイントになるんだけど、そもそも父親がその約束をした理由っていうのが、結局“自分が妖怪石を盗んだことがバレないようにするため”っていう結末はあまりにも虚しくないか。しかも、最後まで父親には何のお咎めもないし。

まあ、水木しげるの漫画であれば、例の眼鏡で出っ歯の頼りなさそうなキャラが父親役になるんだろうし、そうすればダメな父親と健気な息子っていう関係が生きてくると思うんだが、映画のほうでは何をどう考えてあの配役なり演出を採用したんだろうか。

鬼太郎役に関しては、長男が“テンションが低いときのウエンツそのまま”って言っていたけど、まさにそのとおり。(実年齢は知らないけど、少なくとも見た目は)子供である漫画版の鬼太郎を彼が演じること自体にそもそも無理があるってことは当然なのだが、それを克服しようとするアイデアが銀髪だけというのは手ヌキと言われても仕方ない。

これは猫娘に扮した田中麗奈に関しても同じで、あれでは麗奈ちゃんがあまりにも可哀そう。いっそのこと原作のキャラ設定は完全無視して、ファッションから何から(最後の珍妙なダンスシーンも含め)二人ともメチャメチャ格好よくしてくれれば良かったのに。見たかったなあ、麗奈ちゃんのキャットウーマン