長谷川如是閑集

読む本がなかったので、とりあえず本棚に眠っていた本をサルベージ。

筑摩書房から出た「近代日本思想体系」の中の一冊で、初版は1976年になっているが、俺は就職してからどっかの古本市で購入したものと記憶している。

長谷川如是閑に対しては、これまで“反骨のジャーナリスト”というイメージを抱いていたので、最初の「日本的性格(1938年)」という論文を読んだときは相当戸惑った。ここで彼は日本的性格の数々の美点について述べているんだが、これが発表されたのと前後して日中戦争が勃発したことを知っているこちらとしては、唯々唖然とするばかり。(いや、別に俺は日本人を残虐卑劣な人種とは思っていないが、それほど優れているとも思わない。というか、人種や文化によってそれほど大きな差異は無いだろうと考えているだけ。)

その違和感は、3番目の論文である「現代国家批判(1921年)」を読んでようやく治まったんだが、併録されている山領健二という人の「ある自由主義ジャーナリスト・長谷川如是閑」を読んで、その理由が解った。彼は、この二つの論文が発表された間の時期に“転向”していたんだね。まあ、「日本的性格」でもちゃんと日本人の欠点も指摘しているし、特に反動的な思想は感じられないので、転向後の彼もリベラルな考え方は保持していたのだとは思うけど、やはりちょっと意外だった。

それと、おもしろかったのは「現代国家批判」で天皇の現世的な権威をほとんど認めていないところ。しかも、それは彼個人の意見ではなく、一般人民も等しくそう考えており、“日本の皇室の安全性は、古来からそこにあった”そうである。天皇の戦争責任なんかを議論する際に話題になる論点の一つであるが、へぇー、当時の大衆も天皇を飾り物としてしか認識していなかったんだねえ。