苦海浄土

水俣病患者の苦難と闘争を描いた石牟礼道子の代表作。

正直、内容が内容だけに娯楽として読むのは困難であり、長らく見て見ぬふりをしてきた作品なのだが、池澤夏樹が“現代世界の十大小説”の一つに本書を選んでいることを知って万事休す。ここが年貢の納め時と思ってようやく手にしてみたのだが、700ページを超える大作を読み終えようとするほんの数日前、著者死去のニュースを耳にして吃驚仰天。

さて、本書は「苦海浄土」、「神々の村」及び「天の魚」の三部構成となっており、第一部では、水俣病発生初期において患者とその家族が味わわされた悲惨な状況が克明に記されている。実際には、この時期に水俣病の原因物質の特定を廻るドタバタ劇が展開していたはずであり、ネタとしてはそちらの方が面白そうなのだが、著者の視点は一刻たりとも患者の側を離れない。

1968年9月になってようやく政府による公害認定が出され、チッソの法的責任が明らかになるのだが、患者たちの苦悩はまだまだ続き、それを描いているのが第二部。チッソ城下町といわれる水俣市においてチッソを告発することはタブーであり、「いわくニセ患者、いわく金の亡者」という批判に晒された患者たちは「市民の世論に殺されるばい」という逃げ場の無い状況に追い込まれる。

また、チッソや行政による分断作戦により、患者内にも一任派と訴訟派の対立が生じることになるのだが、このような悲惨な状況に置かれても患者たちの本性ともいうべき“おおらかさ”は依然として健在であり、訴訟派の患者たちが1970年11月に大阪で開かれたチッソ株主総会に巡礼姿で殴り込み(?)をかけるところが第二部のクライマックスになる。

そして、1971年10月に新規基準による患者認定が開始されたことによって誕生した自主交渉派の奮闘を間近で記録したのが第三部であり、地元では「叛逆・大逆を犯したもの」にならざるを得なかった患者たちは、多くの学生等の支援を受けながら同年12月にチッソ東京本社内での座込みを敢行する。

この座込み自体は2週間くらいで強制退去されてしまうのだが、彼等の行動は多くの進歩的文化人(?)やマスコミ関係者たちの賛同を得ることに成功し、ようやく出された1973年3月20日熊本地裁判決(=患者側の全面勝訴)の余勢を駆ってチッソ本社との自主交渉に臨む…

ここまでが本書に描かれている水俣病患者たちの闘争の軌跡なのだが、勿論、それはまだ終った訳では無く、国や熊本県の責任を認めた2004年10月の最高裁判決を経て、いまだに多くの訴訟が継続中。「水俣病は底の深かぞ」という患者のつぶやきが耳に残るが、高齢化の進む患者たちに残された時間はおそらくそう長くはないのだろう。

まあ、そんな患者や関係者たちによる多大な努力の積み重ねが(現時点において)国民の“成功体験”として結実しなかったことは、間違いなく我が国にとって非常に大きな不幸であり、現在、沖縄や福島で進行中の問題と本件との類似性は、もう、イヤになるくらい明らか。

また、1959年12月に締結された「契約書」の精神(=将来、水俣病が工場排水に起因することが決定した場合においても、新たな補償金の要求は一切行わないこと!)は、従軍慰安婦に係る日韓合意の「最終かつ不可逆的な解決」という言葉にしっかり受け継がれているし、「水俣市を美しく!」という空虚なスローガンは、批判や議論を好まない「美しい国、日本」の先駆けだったのだろう。

ということで、現状を第三部で描かれている1970年代の日本と比べてみると、就職氷河期を体験した今の大学生に当時の活力を期待するのは無理であり、また、安易な“中立公平”に終始する今のマスコミもあまり頼りになりそうもない。残念ながら、これが“貧すれば鈍する”という我が国の悲しい現状なのでしょう。