ファインディング・ドリー

今日は、妻&娘と一緒にピクサーの最新作「ファインディング・ドリー」を見てきた。

前作の「ファインディング・ニモ(2003年)」は、家族でオーストラリアに行ったときの飛行機の中で初めて拝見したという記憶が残っており、その後もDVD等で何度となく楽しませて頂いた作品。そのメインキャラの一人(?)であるドリーは、ディズニーシーのアトラクション「タートル・トーク」でもお馴染みであり、ボケ役の彼女が今度はどんな笑いを提供してくれるのかを楽しみに映画館へ。

さて、そういえば「ファインディング・ニモ」もかなり悲惨なエピソードから始まった訳であるが、俺のような脳天気な観客にとっては本作のオープニングの衝撃もなかなかのものであり、ドリーのボケの基本である“記憶障害”が彼女の発達障害に起因するものであったことがまず明らかにされる。

ストーリーは、そんなドリーがある日突然思い出したかすかな記憶を元に両親を探す旅に出るというものであり、もちろん、前作で彼女に助けてもらったマーリンとニモの親子もそれに同行することになるのだが、新たに加わるタコやジンベイザメといったキャラクターもそれぞれに魅力的。

後半の展開はかなり強引なような気もしたが、様々な障害を抱えるもの同士がそれぞれの特技や経験を活かして助け合うことによりハッピーエンドを迎えるというストーリーはなかなか感動的であり、両親がドリー用の目印として用意した膨大な数の貝殻を目にしたときには、思わず「幸せの黄色いリボン」の歌詞が脳内に蘇る。

古典落語に出てくる与太郎ではないが、一昔前なら単なる“うっかり者”として非難や嘲笑の対象にしかならなかったキャラクターのことを、“障害者”として優しく受け止められるようになったのは、間違いなく人類の進歩の一つと考えて良いのだろう。

ということで、ドリーがクジラ語を習得した経緯は良く理解できたのだが、人間の文字を理解できる理由については特に説明がなかったねと娘に話したところ、“水族館育ちだからではないか”という指摘に思わず納得。ちなみに、親子愛を強調するのであれば、ラストの「Unforgettable」はナタリー・コールのバージョンを使用するべきだったと思います。