パパは、出張中!

1985年作品
監督 エミール・クストリッツァ 出演 モレノ・デバルトリミキ・マノイロヴィッチ
(あらすじ)
1950年のサラエボ。6歳になるマリク(モレノ・デバルトリ)は、出張がちな父メーシャ(ミキ・マイノロヴィチ)や気丈な母セーナ等と一緒に暮らしていたが、ある日、国家を批判したという容疑でメーシャが警察に連行されてしまう。そのまま夫との連絡が取れなくなってしまったセーナは、警察に勤務する兄ジーヨの家を訪れてメーシャの消息を尋ねるが、にべなく断られてしまう….


カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞したエミール・クストリッツァの初期監督作品。

あらすじだけを読むと、旧ユーゴスラビア社会主義体制を批判した政治色の強い作品のような印象を受けるかもしれないが、実際は、随所にユーモラスなエピソードを交えながら、当時の一般的な庶民の暮らしぶりを描いた作品であり、コメディ作品みたいな邦題は決して見当違いではない。

警察に連行されてしまうメーシャにしても、思想犯でも政治活動家でもない単なる女好きの中年男であり、彼が行った国家批判というのも、新聞に掲載されたスターリン批判の風刺漫画を見て“やり過ぎだな”と呟いただけ。それをメーシャの浮気相手である女性から聞き付けたジーヨが、彼女とお近付きになる上で邪魔になるメーシャを強制労働送りにするための口実に利用した、というのが事の真相らしい。

まあ、それくらいのことで強制労働送りになってしまう社会というのは、それだけで十分恐ろしいのだが、一定期間経過後には妻子を呼び寄せて一緒に住むことも許されるなど、強制労働の内容も比較的穏やかなもの。懲りないメーシャが、その地でも別の女性と浮気問題を起こすという展開は、いかにもクストリッツァらしい人間賛歌(?)だと思った。

また、可愛らしいマリク少年が少しずつ成長していく様子がほのぼのとしたタッチで描かれているのも本作の大きな魅力の一つであり、割礼の様子(=CGではないと思う。)や病弱な美少女との悲しい初恋のエピソードなどは特に印象深い。彼には夢遊病の癖があるのだが、これは彼とほぼ同い年である当時のユーゴスラビアの“未熟さ(≒可能性?)”みたいなものを暗示しているのだろう。

ということで、本作が公開されたのは、サラエボ冬季オリンピックが開催された翌年であり、1980年に死去したティトーが支え続けたユーゴスラビアが最後の輝きを見せた時期。その後の内戦により本作のオリジナルフィルムが失われてしまったことは、何とも残念なことといわざるを得ません。