二都物語

ロンドン旅行記念の第三弾は、王道ということでディケンズの長編に再挑戦。

“それはおよそ善き時代でもあれば、およそ悪しき時代でもあった”という、俺でも知っているくらいに有名な書き出しから始まる古典的名作であるが、以前に読んだ「デイヴィッド・コパフィールド」に比べるとストーリー展開が速く、クライマックスの連続といった感じで、予想した以上に(普通の意味で)面白い。

登場人物も個性豊かなキャラクターが顔を揃えており、中でも愛するルーシーの幸せのために我が身を犠牲にする“悲劇のヒーロー”シドニー・カートンは(普通の意味で)とてもカッコいいし、彼とは対照的に、苦悩を自己の内面で引き受けようとするあまり、度々精神に変調を来たしてしまうマネット医師の哀しさ、不気味さもひとしおといったところ。

しかし、善悪の区別が少々単純すぎるところが問題であり、また、フランス革命における民衆の怒りが、いつのまにか悪役であるドファルジュ夫人の私怨に置き換えられてしまうかのようなストーリーにもちょっと納得がいかないということで、翻訳を担当した中野好夫による辛辣な巻末解説に思わず何度も頷いてしまった。

ということで、知性派のディケンズとしては、愚かな民衆の怒りに共感するのが難しかったのかもしれないが、そのようなある種のエリート意識が文化大革命クメール・ルージュという悲惨な事態を招来してしまったことも歴史的事実であり、そのことは現在の日本の状況と全く無関係とはいえないような気がします。