日本とアジア

ようやく読むことが出来た竹内好の論文集。

長短23編の論文が収められているのだが、やはり一番印象の強いのは冒頭の「中国の近代と日本の近代」。著者は、ここで明治維新以降、極めて短期間のうちに近代化を成し遂げた“優秀”な日本と、それより約半世紀遅れて起こった辛亥革命にさえ失敗した中国を比較しながら論じている訳であるが、当然、日本の抵抗を伴わない、没個性的な優秀さに対しては否定的であり、日本の文化を独立という体験を持ったことのないドレイの文化だと指摘する。

この考えは著者の基本認識らしく、他の論文でも繰り返し言及されており、まあ、ここまで言われると、とても愛国者とは言えないこの俺でもちょっと反論してみたくなるところではあるが、一億玉砕を叫んでいた人々が一夜にして平和主義者へと大変身を遂げたことは我が国の歴史的事実であり、論駁するのもなかなか難しい。そして、そんな薄っぺらな日本の平和主義を他のアジア諸国の方々がどんな目で見守っているのかを想像すると、恥ずかしさから思わず顔が赤らんでしまう。

その他、「日本とアジア」における文明一元観という観点からの福沢諭吉脱亜入欧論に対する評価も大変興味深く、また、唯一の講演記録である「方法としてのアジア」での“人間類型としては、私は区別を認めないのです。人間は全部同じであるという前提に立ちたいのです”という著者の心情の吐露には大いに共感できるところがある。

ということで、著者自身も認めているとおり、彼は哲学者ではなく、あくまでも文学者である故、論文の内容も論理的というより、情緒的な記述が目立つ訳であるが、その分、読み物としては大変に面白く、最後まで楽しく読み終えることができた。折しも、現在、鳩山首相の掲げる「東アジア共同体」構想が一部で話題になっているところであるが、我が国のこの新たなアジア主義(?)が国の内外で今後どのように評価されていくのか、なかなか興味深いところです。