長屋紳士録

1947年作品
監督 小津安二郎 出演 飯田蝶子青木放屁
(あらすじ)
おたね(飯田蝶子)は、同じ長屋に住む田代が拾ってきた男の子幸平(青木放屁)の世話を押し付けられ大弱り。父親を探そうとしたものの、結局、その行方は分からず、かといって放り出すわけにもいかないということで、ズルズルと二人暮らしの生活を続けていた。そんなある日、寝小便を叱られるのを恐れた幸平が家出してしまう….


小津の戦後第一作目。「一人息子(1936年)」で我が子のために献身的につくす母親役を演じていた飯田蝶子が、本作では戦後の混乱により父親と生き別れになった子供を引き取って育てようとする老女役に扮している。

しかし、この主人公のおたねは、決して心優しい好人物としては描かれていない。選りに選って家に泊めた最初の晩に寝小便をしてしまった幸平のことを厳しく叱責したり、父親が見つかりそうもないと分かると、一度は彼を置き去りにしようとさえする。そして、二度目の寝小便が原因で家出した幸平のことが心配になり、その様子を見た友人から“情が移った”と指摘され、ようやく自分の気持ちに気付くといった始末。

要するに、おたねの“善意”は捨て犬を拾ってきた子供みたいなものであり、ある意味、とても自然で嫌味がない。このへんは脚本の上手さに加え、口は悪いが、どこか憎めない飯田蝶子のキャラクターと“ブルも入っている”と揶揄されるその独特の御面相によるところが大きいのだと思う。

また、子役の青木放屁(=すごい芸名!)が全然可愛くないというあたりもとても良いし、そんな彼を何の当てもないまま拾ってきてしまう長屋の住人田代に扮した笠智衆の“天然ぶり”も健在。彼がのぞきからくりの口上を真似て唄うシーンのことは先日読んだ「小津安二郎先生の思い出」にも出てきたが、今となっては面白いだけではなく貴重な資料でもあるのだろう。

ということで、“最近” の世知辛い状況を嘆くおたねの愚痴が出て物語は終わりになるんだけれど、これを聞いて世の中は昔から一貫して世知辛い方向へ進んでいるんだってことを再認識。ラストの上野公園にたむろする戦災孤児たちの映像は、彼等の幸せを祈って挿入されものだと思うけど、そんな訳で見ていてちょっと複雑な心境になりました。