藪をかき分けて不動岳

今日は、お手頃なロングコースの第28弾ということで、佐野市にある(低い方の)不動岳の南に連なる地味尾根を歩いてきた。

栃木百名山でもある大鳥屋山の属する尾根は、北はちゃんと足尾まで歩いているものの、南の方は不動岳のちょっと先で止まっている。その先の情報をネットで探してみたところ、「山旅DIARY」というサイトの管理人さんが2016年1月に古越路峠のさらに南にある258P付近から歩かれているレポートを発見。

さっそく熟読させて頂くが、問題はそこからスタートしたのでは一応の目安にしている20kmに届かないおそれがあることであり、地形図を眺めながら検討した結果、いっそ尾根の南端に位置する賀茂別雷神社から歩いてしまうことに決定。午前6時前にストリートビューで当たりを付けておいた墓地の向かい側にある駐車場に到着する。

さて、身支度を整えて6時2分に出発。車道を少し引き返し、赤地に白で“神社”と書かれた看板の立つ分岐を左に入ると、幸い神社関係者に見咎められることもなく山林の中に入ることが出来る。最初の頃はまだ薄暗かったので道なのかどうか良く分からずに歩いていたが、ほどなくすると段差のあるところに木製の足場が整備されており、石の祠なんかも出て来て何だかとても良い感じ。

しかし、そんな幸せな気分は長く続かず、その先で尾根を外れてしまう山道に別れを告げて未踏の地へ。まあ、多少の藪コギは覚悟の上であり、歩きやすそうなところを探して右往左往しながら歩いて行くが、あまり尾根筋を離れられないところが尾根繋ぎの悩ましいところであり、イヤでも何度かは篠竹(?)の密生する中を突破せざるを得ない。

いつしか左手に握りしめていたニット帽は姿を消し、右手のシングルストックは下半分だけになっていたが、今さら歩いて来た道を正確に引き返すのは不可能であり、その気力も湧いてこない。ふと気が付くと左手には採石場の断崖(6時44分)が迫り、こんなところで遭難したら捜索する人に大迷惑をお掛けするだろうなあ、と思って先を急ぐ。

幸い高度が上がるに連れて藪の状態は落ち着いていくようであり、ようやく待望の258P(7時8分)にたどり着いてホッと一息。不燃ゴミになってしまったストックの残骸をザックに収納し、素手で体中を探ってみたがマダニ等の被害は無いらしい。頭部が寂しいので、包帯代りに常備しておいた手拭いをかぶって再出発(7時17分)すると、まあ、不審者度は100%アップだが、今日も人に出会うことは無さそうなので無問題。

さて、その後も断続的に藪が現れ、トゲのある木の下を潜ったときに上着にかぎ裂きを作ってしまう。古越路峠(8時1分)の手前では枝尾根に誘い込まれそうになるが、危ういところで気が付いて無事通過。さらに進んでいくと富士重工の社有地に近付いたようであり、何処からともなく尾根上に現れた有刺鉄線の柵(8時9分)に沿って歩くようになる。

この区間が思ったより長く、次第に万里の長城に行く手を阻まれた蛮族の気持ちになってくるが、“絶対にこの先もスバルの車なんて買うものか”という決心が固まる頃(9時2分)にようやく柵が尾根から離れていく。当然、尾根の幅は2倍に広がるため一気に歩きやすくなり、9時10分に354Pに着く。

ここは4年前に小屋橋方面から上ってきたところであり、これで今回の尾根繋ぎは完了だが、まあ、名前のある山を歩かないと記事の題名を考えるのに困るので、そのまま歩き続けて377.7三角点(9時28分)〜不動岳(378m。9時43分)。山名板は見当たらなかったが、山頂を少し通り過ぎたところの境界杭に腰を下ろし、熱い紅茶と菓子パンで飢えを癒やす。

下山は事前学習でその存在を知った有戸山を経由する予定であり、再出発(9時53分)後、往路で確認しておいた“銃猟禁止区域”の赤い看板の立っているピーク(10時15分)まで引き返し、そこを直進。すると10時32分に着いた298Pが有戸山であり、そこには立派な石の祠が建っている。

この尾根の末端にも石の祠(10時44分)が並んでおり、その先の急降下をどうしようか悩んでいると、目の前の赤テープに気付く。それを信じて下りていくと、最後は右に90°曲がってガードレールと鉄柵の隙間に無事着地(10時48分)。後は舗装道をテクテク歩いて12時35分に駐車場に戻ってくる。本日の総歩行距離は22.0kmだった。

ということで、序盤の藪コギには参ったが、また一尾根歩き通すことが出来たのでとりあえず満足。次は尾出山や高い方の不動岳のある尾根を繋ぐ予定であるが、やはり南端の方の地形は複雑であり、どこから歩き出すか決めるのはかなり難しそう。でも、まあ、そんなくだらないことに頭を悩ませるのも尾根繋ぎの楽しみの一つなんですけどね。