劇団四季「ジーザス・クライスト=スーパースター」

今日は、仕事からの帰りがけ、妻と一緒に総文センターで行われた劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」を見てきた。

俺がこの作品を明確に意識したのはノーマン・ジュイソンが監督した映画版の「ジーザス・クライスト・スーパースター(1973年)」からであり、映画館に見に行く金は無かったが、TVやラジオから流れてくる何曲かの楽曲は好んで聴いていたような記憶がある。しかし、かなり後年になってビデオで拝見したときの印象はあまり芳しいものとはいえず、ストーリー等はほとんど忘れてしまったものの、まあ、それがこの作品に対する俺の評価になっていた。

そんな訳で、あまり積極的な気持ちは無かったのだが、折角こんな田舎町までいらしてくれるのだからということで妻に話をしてみたところ、あっさりOKを出して頂き、前から8番目というなかなか良い席を手配してくれた。

さて、会場に入ると、舞台上には荒れ果てた砂漠のような大地が再現されている。暗転後、まるで暗黒舞踏のような怪しい雰囲気の中でミュージカルが幕を開けると、最初のユダの歌で、彼がキリストを救世主としてではなく、一人の人間として見ていることが明らかになり、以後、それを前提にしてストーリーは進んでいく。

その点を除けば、登場するエピソードは聖書の記述にかなり忠実であり、イエスが市場の商人達を蹴散らすシーンでは、聖書に関するある程度の知識が無いと理解しにくいんじゃないかと思いながら見ていた。以前、ビデオを見たときにピンとこなかったのも、当時の俺の知識不足が災いしていたのかもしれないなあ。

ラストでイエスが復活することなく幕を閉じるというのもちょっとビックリであり、総じてストーリーに関してはなかなか良く出来ている。一方、肝心の歌の方は、俺の記憶している楽曲に比べるとかなりマイルドになってしまっており、あれではまるで歌謡曲。バラード調の“私はイエスがわからない”は、もうちょっと情感豊かに歌って欲しかった。

ということで、妻の評価はいま一つのようであったが、ストーリー重視の俺としては、まあ、それほど大きな不満は無い。しかし、一番腹が立ったのは総文センターの座席のクッションの悪さであり、終盤はお尻が痛くて舞台に集中できませんでした。