あの夜、マイアミで

2020年
監督 レジーナ・キング 出演 キングズリー・ベン=アディル、イーライ・ゴリー
(あらすじ)
1964年2月25日、当時22歳のカシアス・クレイ(イーライ・ゴリー)がソニー・リストンを破ってボクシングの世界ヘビー級王者になったその日の夜、彼の勝利を祝うためにマルコムX(キングズリー・ベン=アディル)、ジム・ブラウン、サム・クック、そしてクレイの4人がマイアミの安モーテルに集まった。しかし、NOIからの脱退を計画中のマルコムXのせいで、話題は次第に公民権運動の話へと移っていき…


同名の舞台劇を映画化したレジーナ・キングの初監督作品。

TVドラマ版「ウォッチメン」で主役を演じたレジーナ・キングの監督デビュー作ということで興味を持ったのだが、ストーリーはなかなか硬派でシリアスな内容になっている。メインの4人はいずれも当時のスーパースターばかりであり、当然、フィクションだろうと思って見ていたのだが、Netflixで配信されている「リマスター サム・クック」というドキュメンタリー作品によると、会話の内容はともかく、4人がマイアミのモーテルに集まったのは事実らしい。

さて、会話の主導権を握るのはおそらく4人の中で最年長になると思われるマルコムXなのだが、長年にわたり中心的メンバーとして活動してきたNOIからの脱退を間近に控えているということもあってかなり神経質になっている。その焦燥感の標的になるのが人気歌手のサム・クックであり、白人のファンも大切にするという彼の“柔軟”な姿勢がマルコムXの批判を浴びてしまう。

しかし、これに対する反論としてサムが紹介するエピソードがなかなか興味深い内容であり、それは著作権さえ押さえておけば黒人ミュージシャンの楽曲を白人がカヴァーして大ヒットさせることはむしろ前者の利益になるというもの。具体的にはローリング・ストーンズの「イッツ・オール・オーバー・ナウ」(=作者はボビー・ウーマック)のことなのだが、これを先日拝読させていただいたデヴィッド・グレーバー流に表現すれば「商品化された形式を通してその価値がついに彼ら(=白人社会)に到達した」ということになるのかもしれないね。

ちなみに、「リマスター サム・クック」によると、人種差別問題に関するサム・クックの意識はこの4人の会合以前から非常に高かったようであり、この年の12月11日にモーテルの女性管理人によって射殺されるという非業の最期を遂げている。これまで、オーティス・レディングロッド・スチュワートのヒット曲の作曲者としての印象が強かったが、なかなか興味深い人物だったようである。

ということで、サム・クックによるデヴィッド・グレーバー的戦略はきちんと評価されるべきだと思うが、正直、その有効性には限界があるんじゃないのかなあ。確かに、我々の生活に共産主義的関係性が存在していることは間違いないと思うが、同時に封建的関係性やファシズム的関係性も認められるところであり、これらのうちどの関係性がより基礎的なものなのかという検討が必要なのではないでしょうか。