早春の京都旅行(第2日目)

今日は、大原の社寺を見学してから京都市の中心部に移動する予定。

晴れていたら朝食前に寂光院周辺を散歩してこようと思っていたのだが、一日中雨という天気予報は当たりだったらしく、朝食の時刻まで布団の上でゴ~ロゴロ。しかし、雨脚はそれ程強くも無さそうであり、午前8時半過ぎに宿をチェックアウトして三千院へと向かう。

妻は学生の頃に一度訪れているらしいが、そのときの記憶はほぼ皆無だそうであり、雨の中、俺が先導するような格好で緩い上り坂を歩いて行く。受付で拝観料をお支払いすると“大きな荷物はこちらでお預かりできます”という有り難いお申し出があり、2人分のザックをそこに預けてから見学スタート。

境内は想像していたより広大であり、客殿~宸殿を通って一度外部に出ると美しい苔庭の中に往生極楽院が建っている。ちょうど雨脚が弱まった頃だったのでそのまま奥まで進んで金色不動堂~観音堂阿弥陀石仏と見て回り、円融蔵に併設されたショップでわらべ地蔵のアクセサリーを購入。文化財的な価値は無いが、まあ、娘には一番喜んでもらえるだろう。

次の目的地は宝泉院であり、我々が客殿に入ると同時に先客が退出してくれたため、雨に濡れた額縁の庭園を二人で独占。お抹茶を頂いてからもう一つの名物である血天井を見上げていると、住職らしき方が近づいてきてその説明をしてくれるのは有り難いのだが、お互いにマスクを外した状態なのでちょっと困惑してしまった。

その隣に建っているのが声明の聖地である勝林院だが、管理状況は相当オープンのようであり、証拠の阿弥陀の前にも“撮影禁止”の文字は見当たらない。折角なのでテープから流れる声明を聞きながら屋内外を写真に収めさせて頂いたが、江戸時代の再建にしては本堂の彫刻も阿弥陀如来坐像もなかなか良く出来ていると思った。

天気が良ければ音無の滝まで歩くつもりでいたが、依然として小雨は降り続いており、とりあえず今回の大原観光はここまでにしておこう。バス停まで引き返すと、発車時刻まで少々時間があるので、隣にある「茶房呂川」というお店の温かいカフェオレで時間調整をしてからバスに乗り、京都市中心部へと向かう。

こちらの目的地はキャノンのCMでもお馴染みの仁和寺であるが、ここの拝観料金は御殿、霊宝館、御室花まつりの3つに分かれている。雨脚はちょっと強まってきたし、御室桜はまだ開花前なので、さすがに“花まつり”はないだろうと思って前二者の共通拝観券を購入したのだが、後でこれが失敗だったことが分る。

最初に入った御殿はまさに“Palace”であり、伽藍というよりも現世の権力を象徴した宮殿の雰囲気が濃厚。宸殿の一部には折上格天井が施されており、まあ、これが仁和寺のルーツになるのだろうが、遠景に五重塔を取り入れた北庭の眺めも絶品。これに対し、次の霊宝館に展示されている仏像の数々は高い精神性を感じさせる名品揃いであり、特に国宝の阿弥陀三尊像を間近から見られたのはとても嬉しかった。

これらの見学を終了して金堂方面に進もうとすると、中門のところに係員が立っており、ここから先に進むには御室花まつり用の拝観券が必要らしい。しかも、それは先程の二王門付近の受付でしか販売しておらず、長~い参道を引き返して何とか購入。確認を怠ったこちらも悪いのだろうが、出来れば“花まつり”ではない別の名称を使って欲しかった。

さて、ようやく中門を潜ると左手に御室桜の古木が見られるが、遅咲きで有名ということで花はまったく咲いていない。しかし、金堂と五重塔は特別公開の期間中であり、別途拝観料を支払ってから国宝の金堂内部に入る。中央に二代目の阿弥陀三尊像を配した内部はなかなか豪華であり、当時の彩色が残っているのも素晴らしいが、保存上の理由からか、薄暗くて遠くが良く見えないところがちょっと残念だった。

一方、五重塔は外側から内部をのぞけるだけであるが、係の人が“初層の尾垂木のところに4体の邪鬼がいる”と教えてくれたので、そちらの探索に熱中。日光が弱いため、肉眼で見たのでは白いハトの糞のようにしか見えないが、スマホで撮影した画像を拡大してみたところ、確かに重そうに塔を支えている邪鬼の姿を確認することができた。

残念ながらCMに使われている観音堂は見学できなかったが、なかなか見所が豊富なところであり、今度は天気の良い日に御室八十八ヶ所霊場巡りを兼ねて再訪するのも悪くないなあと思いながら道路の反対側にある「佐近」というお店に入って一休み。その後、バスを乗り継いで本日の宿である「京乃宿 清水五条呉竹荘」に着くことができた。

ということで、天気予報どおり雨の一日になってしまったが、まあ、寺社巡りの大きな支障にはならず、日曜日のわりには人出が少なかったせいでコロナの感染対策には有益だったのかもしれない。今日の夕食も宿の地下にあるレストランで手軽に済ませてしまい、明日の晴天を祈りながら眠りにつきました。